孤立する人々 ~エクアドルに暮らすコロンビア難民  その2

3・難民としての日々
 
 クリスマス前日の一二月二四日、同じくコロンビアから移り住んできたルイスさんの義兄マヌエルさんの家族と過ごした。彼はリタからさらに山に入った村に妻と娘、甥一家、妹家族の計一二人で生活をしている。村の家庭に部屋を借り、二部屋に一二人が寝起きしている。大家は母親と息子の二人暮しだ。他にも子供はいるが、それぞれ他の町で生活している。
 その日はクリスマスを家族と過ごすために、村を離れている息子さんが子供を連れて里帰りをした。午後になると、家で飼っている鶏とクイを絞めて、クリスマスの御馳走の準備が始まる。食事の準備は、マヌエルさんの奥さんと妹の仕事だ。肉を焼く香ばしい匂いが漂ってきた頃、出かけていた人たちが帰宅する。その匂いに堪らず私の腹も鳴り出す。私はこのコロンビア南部やエクアドルで食べられるクイが好きだ。大きいものだと30 センチくらい。見た目は、耳の短いウサギといった感じで、味もさっぱりしていて飽きがこない。食事の時間になると、庭に広げられたテーブルで里帰り中の大家の息子さんたちに囲まれ、あれやこれや日本のことを話しながら皿に乗った大盛りのご飯に舌鼓をうつ。
 しかしその場にマヌエルさんたちはいない事に気がついた。ついさっきまで皆でわいわいやっていたのに、食事が始まると、彼らは台所とその横の部屋で食事をしている。料理もクイの肉はない。大切な日に乱入した私のほうがよい物を食べていた。
 食事後、皆で教会に向かった。クリスマスのミサは、本来は午前零時の日付の変わるときに行われるのだが、一人の神父が山間部の村々を一ヶ所ずつ回るため、この村では二三時にミサが開かれるという。時間が近づくにつれ村人が集まり、山間の静かな夜が少し賑やかになる。里帰りをしてきた人たちも多く、あちこちで輪ができ近況を語り合っている。そんな雰囲気の中、遠慮がちにその輪の外にいるマヌエルさんたちがいた。
 クリスマスの朝、村からイバラという町に向かう一日に一本のバスで、里帰りしていた息子さん達が帰っていった。霧のなかで彼らを見送った後、マヌエルさんは甥っ子を連れて仕事に出かける。「他の人たちは休みでも私たちは働くんだよ」と呟く。彼は村の人のバナナ畑の手伝いをしている。一日の収入は五ドル。この日は畑に生えた雑草の掃除をすると言う。畑にたどりつくまでの間、歩きながらコロンビアでの生活を話してくれた。「私の村も十五年前までは此処と同じで静かなところだった。しかし、ゲリラと軍の戦闘が激しくなり、地雷が埋められ、山の畑に行けなくなった。戦闘の巻き添えになって死ぬ人が出た。ある人はゲリラとの関係を疑われて殺された。誘拐され帰って来ない人もいた。死体が川に捨てられているのも見た。家族も殺された。以前は外国の団体が道路の整備など援助活動をしていたが、治安が悪化してすべて手を引いてしまった」
 どんなことが起きているのか想像はしていた。しかし、淡々と語られたその話は、生々しく私の胸に沈み込んできた。私はただ聞いているだけだった。
 
 年明け、首都近郊に住むルイスさんの自宅を訪ねた。彼は首都のキトからバスで四〇分ほどの町に、奥さんと三人の息子さんと暮らしている。標高約二八〇〇メートルにあるその町は、リタとは違いよく晴れた日中でも風がひんやりとしている。元旦のその日は、前日大いに盛り上がったためか、酔っ払って路肩で眠っている人もいる。
 お昼前に自宅を訪ねた。二一歳と、二〇歳の二人の息子さんはまだ布団の中だった。前日の大晦日は夜に家族でミサに出かけ、そのまま友人たちと朝方まで騒いでいたそうだ。奥さんは台所でパンを焼いている。ルイスさんは末っ子の一一歳になる男の子とテレビを見ていた。前日の大晦日も仕事をしていたらしく、少ない休日の元日を家族でゆっくりと過ごしていた。そんな団欒の和に混ぜてもらった。
 ルイスさんは五年前、家族五人でエクアドルへ来た。コロンビアの都市で生活することも考えたが、知り合いもおらず治安の悪い都会で暮らすより、親類のいるエクアドルでの生活を選んだ。
 彼は一五歳から家具を作っている。カリというコロンビア第二の都市でも仕事をしていたこともある。この町では工房を借り、妻と二番目の息子、他に一人従業員を雇っている。仕事場には、手作りのあたたかみのあるベットや椅子、テーブルなどが並んでいた。
 ルイスさんは誠実な人柄で、アワ族の難民のリーダーでもある。農村に比べれば収入もよい。奥さんも子供たちも明るく笑顔が絶えない家庭である。 
 コロンビアからは鞄一つしか持たずに出てきて、最初は先にエクアドルに来ていた親類の所に世話になった。三人の子供を育てながら必死で働いた。部屋にある家具はみんな手作りだ。棚に置かれているテレビ、DVDプレーヤー、ラジカセを見ながら、「やっと人並みの生活ができるようになってきた」と言う。
 ルイスさんには夢がある。それは、リタの周辺に広いまとまった土地を買い、仲間たちと共に働く農場を作り、無農薬の作物を外国に売り出したい。さらに将来は、コロンビアで暮らしていたときのようなコミュニティーを作りたい……。それはただの夢ではなく、先の見えない厳しい生活を送る仲間達にとって希望なのだ。「今生活しているこの場所は好きですか?」と奥さんに聞いたことがある。奥さんはちょっと間を置いて、「難しいわ。今の生活は決して楽じゃないの」と答えた。ルイスさんは「もうコロンビアには戻らない」と強く言った。でもそれは自らを言い聞かせているように聞こえた。ビリヤードをしながら酒を飲んだとき、大分酔った彼は、「コロンビアのルールはこうだった」「コロンビアの食べ物はああだった」「ビールはポケル( コロンビアのビールの銘柄) のほうが断然美味い」などその場にいたエクアドル人にしきりと話しかけていた。
 元日のその日、ルイスさんのところに一本の電話が入った。コロンビアで前日の大晦日の日、知り合いの男の子が戦闘の犠牲になったという連絡だった。


 4・孤独の中で
  
 コロンビア難民の支援をしているカトリック教会の組織で働く女性は、難民が異国で生活する上で「一人ひとりがバラバラ」であることが問題だという。

 エクアドルに暮らすおよそ二万五〇〇〇人のコロンビア難民の大部分は、都市で生活している。都市は様々な土地の人が集まっており、そこではコロンビア難民もまた、何千、何万分の一の存在感しかない。
 ルイスさんたちの特筆すべき点は、アワ族と言う共通のアイデンティティと土地の記憶を持つということだ。それによってかろうじて、異国で暮らす孤独感、将来に対する不安感に耐えているように思える。難民のほとんどは、特別な人間ではなくごく普通の暮らしを望んでいる人達なのだ。
 コロンビアと国境を接するエクアドル北部インバブーラ県の県都イバラに住むさんサンドラさんは、夫と一人の子とともに二年前、コロンビアのプツマヨ県からエクアドルへとでてきた。エクアドルでは教会組織の援助で難民ビザを取得しアパートを借りて生活している。しかし二年たった今も生活は苦しく将来に対する不安が拭いきれない。サンドラさん夫婦それぞれの親兄弟は今も彼らの故郷で暮らしている。会話の中で「色々な事を捨ててきた」と呟いたのが印象的だった。
 
 ここで紹介した人たちもかつては、小さなことで笑い悩む、他愛のない毎日を送っていた。祖父母や父母の生まれ育った場所で自分も子を育て、「もうちょっとお金があったらなぁ」などとボヤキながらも、今日と同じ明日がくることを疑っていなかった。
 自分の意思と無関係に故郷を捨てることを余儀なくされ、家族友人とも離ればなれとなり、全てのつながりを断たれて生活する彼らの孤独と不安感を想像してほしい。誰もがごく普通の毎日を送りたいだけなのだ。
 ルイスさんたちの生まれ育った村の住民は、皆がコロンビア国内の他の地域かエクアドルに移住している。今はもう村には誰も住んでいない。



                                           柴田 大輔
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