孤立する人々 ~エクアドルのコロンビア難民

孤立する人々 ~エクアドルのコロンビア難民


 コロンビアには、内戦や強制移住によって住む場所を追われた三〇〇万人ともいわれる国内避難民のほか、隣国エクアドルで約二万五千人が難民として生活している。一昨年、エクアドルで出会った先住民族アワ族のルイスさんも、新しい生活の場を求めて故郷を離れた難民の一人だった。
 

1・故郷を去る
 
 私がコロンビア難民のルイスさんと初めて会ったのは二〇〇七年一二月の始め、エクアドル北部のリタという村でのことだ。エクアドル、コロンビアを縦断しているアンデス山脈に沿って走るパンアメリカンハイウェイでコロンビアからエクアドルへと国境を越え、途中から太平洋へ向かって山をくだる。国境から四時間ほど車を走らせた標高約千メートルの所にリタはある。年中初夏のように温かく、鬱蒼とした濃い緑に覆われた山肌からは、自然の力強い生命力を感じさせる。
 私が訪ねた日リタでは、カトリック教会が運営する団体と、ルイスさんをリーダーとするコロンビア難民のグループとの会合が開かれていた。
 ルイスさんらアワ族のグループは、エクアドルと国境を接するコロンビア南部のナリーニョ県の村で生活していたが、六、七年前から難民となって国境を越える人が続出した。ルイスさんも先にエクアドルへ来ていた親類を頼りに五年前、妻と三人の子を連れて国境を越えた。
 彼らの生活していたナリーニョ県などのコロンビア南部は、反政府ゲリラFARC が最も活発に活動している地域のひとつだ。そのため軍とゲリラ、パラミリタール( 極右準軍民兵組織)の間で頻繁に戦闘がおき、多くの人たちが犠牲となっている。ルイスさんたちは、安心して暮らせる場所を求めて国境を越えてきた。
 私はその頃、コロンビアのカウカ県というところで先住民族の取材をしていた。そこでも、繰り返される暴力によって土地を奪われ、生命の危険にさらされ、生まれ育った場所を去らなくてはならない人がいたが、先住民族同士が団結し、自分たちの土地、権利、尊厳のために戦っていた。だが、ルイスさんの故郷の村はゲリラの強い勢力下にあり、外部との通信手段となる電話やカメラなどの所持はゲリラによって厳しく取り締まられ、人の往来も監視されていた。住民は孤立させられ、まとまることができない状況にあったという。
 
2・エクアドルでの生活
 
 ルイスさんのグループは現在およそ三〇家族、一二〇人あまりがエクアドルで暮らしてお
り、大半がリタ周辺の山中で生活を送っている。
 
 アワ族はコロンビア南部から、リタ周辺を含むエクアドル北部にかけて、アンデス山脈から太平洋側にいたる地域を生活の場としている。ほとんどの人はスペイン語を話すが、アワピという独自の言語も持ちつづけている。難民たちが新しい生活の場をリタ周辺に選んだのは慣れ親しんだ故郷に近い場所に住みたいからなのだろう。また、多くの人たちが山での生活を選んだ理由は「山での暮らししか知らないから」(ルイスさん)と言う。彼らはコロンビアでは、ほとんどの人が顔見知りのコミュニティーのなかで、畑で作った野菜を食べたり市場で売ったりして生活していた。
 そういった小さな共同体で生活していた人たちが、言葉の違いはないとはいえ、異国の都市で仕事をさがして一から生活を始めるのは難しい。失業率の高いエクアドルでは尚更だ。都市では、犯罪に走るコロンビア人が多くためか、偏見も少なくない。
 リタ周辺で暮らす彼らは自分の家は持っていない。現地住民の家の空き部屋を借りている。子供の多い家族では、一家がひとつの家に住むことができず、別の家、時には別々の村に離れて住んでいる例もある。仕事は地元の人の持つ畑の手伝いをし、一日五ドルの収入を得る。いくら日本に比べて物価の低い所とはいえ、それだけの収入で月三〇ドルの部屋代を払って家族と共に生活するのは厳しい。将来の自立に向けての資金を作る余裕さえない。


~ つづく
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