トウモロコシを撒くのをやめる

コロンビア南部のアンデス地方で、「もうトウモロコシは撒かない」という20代、30代の若い人に立て続けに出会った。要は「金にならないトウモロコシはやめて、金になる物を作る」ということなのだけれど、その地域ではつい最近までトウモロコシを広い面積に撒いて収穫することが農民としてのステータスというか、他の人に対して見栄を切る場面だったようなのだけれど、とても大きな変化だと思う。
(つい最近までというより、今も40代位までの人は、人より広く撒いて収穫することに充実感を持っている人は多い)
 
生活の中でも、トウモロコシは一年の時間の流れの基準のような位置にあったような感じでもある。
 
色々な原因で、近年は紛争で町に出て行った若者は、多くはもう山には帰ってこない。この地域ではつい最近まで人々にとって重要な価値観であった共同体的な社会で生きることから変わって、より町で金銭を稼ぐことの重要性が増しているからだと思う。
 
網野善彦氏の「日本の歴史をよみなおす」という本を読んでいると、こんな一文があった。
 
現代が、文明史的、民族史的な次元での区分からの見方に立ったときの大転換期にさしかかっていると踏まえた上で、『室町期、十四、五世紀にできた村や町のあり方が、今や崩壊といってもよいほどの大きな変化にさしかかりつつあることは疑いないと思いますし、人の意識の上にも大きな変化が起こりつつあります(中略)日本の社会はいま、十四世紀の転換以来の大転換の時期にさしかかっていると考えられるのです。』
 
日本と遠く離れたコロンビアの、さらに山の奥にある地域で起こりつつあることが、同じこの時期に、日本の農村で起きていることと繋がっているように感じる。これにはどんな意味があるのだろう。コロンビア最南部のある集落が、この10数年の間に戦争に巻き込まれることになったこととも、何かその根幹の所で繋がるきがするのだけれど。
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