終わらない紛争の中で  コロンビア・コーヒーを作る友 (コロンビア・ナサ民族)

2014年7月に、先住民族の10年NEWSに寄稿した、コーヒーを作るナサ民族の友人の話です。

2013年、彼が暮らすコロンビア南部カウカ県を訪ねました。
彼は、とっても美味しい有機コーヒーの生産者でもあります。

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<終わらない紛争の中で  コロンビア・コーヒーを作る友>

南米コロンビアでは、6月の大統領選挙を終え、2012年より続く反政府ゲリラとの和平交渉に注目が集まる。だがコロンビアの農村は、今も50年に及ぶ国内紛争の渦中にある。

日本人にも馴染み深いコロンビア・コーヒーが生まれるカウカ県。その肥沃な土地のこれまでの歴史、そこで生活するナサ民族の様子を報告したい。


1. コロンビアと甘いコーヒー

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家に招かれると一杯のコーヒーとパンで一休みする。


 コロンビアの農村を歩いていると、しばしば家に招かれることがある。

 「どこから来たんだい? ちょっと休んでいきなさい」。

 家の人に言われるままにお邪魔すると、一杯のコーヒーと、パンなど、ちょっとした食べ物が出てくる。コーヒーは、大きな鍋にドンと作り置かれ、お玉でコップにすくってくれる。たっぷりの砂糖が入ってとても甘い。日本では砂糖もミルクも入れずに飲んでいたのに、いつしかコーヒーは甘くなければ物足りなくなっていた。

 どんなに急いでいても、冗談交じりの他愛ない会話を家人と交わしつつ、出されたコーヒーを飲み干し、その場を楽しむのが礼儀だ。それで次の約束に少し遅れても、誰も咎める人はいない。もしかすると、都会はちょっと違うかもしれないが、このような時間に対する大らかさも含めて、コロンビアの生活に根付くコーヒー文化の姿といえるのじゃないだろうか。
 
 コロンビアの主産業であるコーヒーは生産高世界第4位を誇り(2012年Food and Agriculture Organization)、対日輸出で世界3位(2013年財務省)。コーヒー好きの日本人にとっても馴染みの深い存在だ。


2. コーヒー農家カルロス

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自慢のコーヒ畑を見せるカルロス


 私の友人に無農薬コーヒーを作るカルロスというナサ民族の男性がいる。年齢は45歳。コロンビア南部カウカ県のアンデス山中に、妻のベティー、息子と娘の4人で、ハンバロという村に暮らしている。少し神経質で、初めは取っ付きにくい印象もあったのだけれど、一回り年下の気の強い妻の尻に喜んで敷かれている、実は気のいい男だ。以前は役場で事務職についていたが、今は辞め、祖父の代から続くコーヒー作りを継いでいる。

 私とカルロスが出会ったのは2006年12月。クリスマスが過ぎ、新しい年を迎えようとする時だった。

 首都ボゴタの宿で見かけたある記事に、「ナサ民族の自治区ハンバロ」が取り上げられていたのを目にし、私はハンバロに向かっていた。ハンバロには宿がなかった。そんなことも知らずに来た私に、移動の車中で一緒になったカルロスが「部屋が空いてるから、家に泊まりなさい」と言ってくれた。それから3カ月あまりをそこで過ごした。

 何度かカルロスのコーヒー畑に同行したことがある。収穫前の畑の除草が主だった。早朝集まった近所の親類と農具を持って畑のある山へ入っていく。急な斜面にびっしりとコーヒーの木が並んでいた。有機コーヒーとして国外にも出荷されており、除草剤はもちろん使っていない。斜面にしがみつくようにして、伸びた草をマチェテ(長鉈)で刈り取っていく。徐々に昇る太陽が焼けるように暑かった。その後も何度か仕事を手伝った。これまでただ飲むだけだったコーヒーの味が変わった気がした。


3. 有機コーヒーと先住民族

 カウカ県のアンデスに位置する標高1500mから2100mの高地は、コーヒー栽培の好条件である、昼夜の気温差、火山灰を含む肥沃な土壌と豊富な雨量が相まって、良質なコーヒーの産地として知られている。ハンバロもこの辺りにある。
 
 カルロスが暮らすハンバロ村を含むカウカ県北部には「フォンド・パエス」という、ナサ民族が中心となるコーヒー生産者協会があり550家族あまりが加盟している。そこで作られた有機コーヒーは、国内だけではなく、フランス、米国へも出荷されている。

 1992年に発足したこの協会のバックアップをするのが、「コロンビア・ヌエストラ」というバジェ大学の関係者で作られた農村支援を進めるNGOだ。先住民族に寄り添い活動する彼らは、昔からの農法である有機栽培の価値を生産者に伝え、現金収入源の限られた山間部に新たな収入源を確保し、地域の経済的な自立を促す。また、コーヒー生産は、長い紛争と抑圧の歴史の中で失った民族の知恵や誇りを再獲得することにも繋がっている。

4. 歴史

 カウカは豊かな土地を持つ。この豊かな土地に長い間暮らしてきた人々は家族単位の小規模農業を営み、自給自足的な生活を送ってきた。この豊かな土地を求めて外部から入ってきた資本家が、先住民族から土地を奪い、隷属的に扱ってきた歴史がある。
 
 現在も続く50年に及ぶ国内紛争は、こうした社会の不平等に端を発する。
 
 さらに遡ると、コロンビア独立以来内包し続けてきた、保守党と自由党の2大政党間による凄惨な暴力の歴史がある。山深い地に位置するハンバロも、その例外ではなかったという。1948年に首都で起きたボゴタソ(ボゴタ暴動)は、保守党による自由党派市民に対するテロが頻発している中、自由党の有力政治家ホルヘ・ガイタンが暗殺されたことが引き金となり、自由党派市民の怒りが爆発した。この暴力は瞬く間に全国へ波及し、以降、およそ10年の間に全国で20万人以上が犠牲となる「ラ・ビオレンシア(暴力の時代)」へと突入する。
 
 ハンバロでも住民が自由党と保守党に割れ、マチェテを手に殺しあったと聞いた。私はこの事実を全く知らなかった。静かで温かい人々が暮らすこの地に、刻み込まれた血の歴史があった。
 
 そして、この暴力の時代が終わる頃、地域に資本家が入り込んできた。彼らは力で土地を巻き上げていった。逆らう人々は容赦なく暴力が振るわれ数多くの犠牲者が出た。文字を理解しない人に対して、説明なしに土地の譲渡契約書にサインをさせることもあった。土地を奪われた人々は、農場主から僅かばかりの土地を貸し与えられ、その地代を払うために、地主の営む農牧場で無賃金で働かされていた。場所によっては、週に5日地主のために働き、残りの時間で、自分たちが食べるトウモロコシの種を撒いた。
 
 カウカ県では、大地主に搾取されてきた農民・先住民族自身が立ち上がり権利を獲得するために闘ってきた歴史がある。20世紀初頭、ナサ民族の伝説的指導者マヌエル・キンティン・ラメ(1880〜1967)は何度も投獄されながら、法律を学び権利回復へ向けた先住民族運動を組織していった。1971年設立のカウカ先住民族地域協議会(CRIC)は、キンティン・ラメの遺志を引き継ぎ、今日では、コロンビア全土における先住民族運動を力強く牽引している。
 
 それでも、大地主の力は強く、先住民族のリーダーが次々に殺害されていった。以前、ハンバロの首長を務めていたフロリルバさんの話では、彼女の祖父は1960年代、地主の農場で働かされていた。ある日、待遇改善を求めて地主に掛け合ったことがある。すると地主は彼の身体をバラバラに刻み、収穫したコーヒーを入れる袋に入れて、彼の自宅の前に捨て置いた。
 
 1984年、カウカの先住民族の中にゲリラを結成し武装闘争を始める人たちが現れる。前述の指導者の名を取り、キンティン・ラメ武装運動(MAQL)といった。この運動は、1991年、先住民族の権利を明記した新憲法制定へ向けた流れの中で武装解除している。


5. カルロスとの再会

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満天の星空に、銃声が響く

 2013年3月、カルロスの元を5年ぶりに訪ねた。コロンビアには毎年のように通っていたが、2009年以来、彼の元を訪ねられずにいた。

 原色で塗られたチバというバスに乗り、未舗装の山道を走って行く。走り始めて3時間ほどの所で、カルロスの息子ハネルが、バイクで迎えに来てくれていた。初めて会ったのは7年前。泣き虫でわがままな10歳の少年だった彼が、17歳の逞しい青年になっていた。
 
 自宅に着くと、カルロスとベティーが台所で夕飯を準備していた。「まぁ座ってゆっくりしろよ」と、彼の畑で採れたコーヒーと、ベティーが作ったトウモロコシのパンを出してくれた。以前と変わらない自然な対応に気分がくつろいだ。お互いの近況を話し合いながら時間が過ぎていく。
 
 ここも紛争の最中にあった。ある晩、銃声がして外を見ると、カルロスの裏手の山から真っ赤な光の筋が、谷を挟んだ反対側の山へ幾筋も走っていった。日中は、軍の爆撃機が不気味な飛行音を響かせ、ゲリラを探して上空を旋回していた。
戦闘のあった夜、私はハネルの部屋で、ハネルの眠る隣のベットで布団に入っていた。布団から顔を出したハネルは、「日本の面白い話してくれよ」と明るく私に話しかけた。それは私を不安がらせないためだったように思うし、彼自身も、怖さを感じているようだった。カルロスはベティーと空を見つめていた。

 人々は日々変わらぬ生活を送る。戦闘は、ここでは雨のようなものかもしれない。それが起きれば家に入り、過ぎるのを待つ。過ぎれば何もなかったかのように、またいつもの日常に戻る。

 繰り返し身近に起こる暴力の中で、人々は恐怖に麻痺しているのではないかと私は思っていた。しかし、そうではない。日常では表に出さないだけだ。生活の中で恐怖と折り合いをつけて生きている。災いに触れないように、自分の身に降りかからないように。そう願い生きているように感じた。カルロスたちは、生まれた時にすでに暴力が隣り合わせで存在し、その中で生きている。

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銃声が響く夜、布団の中から私に話しかけるハネル



6. 未来へ


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生活の中心にあるトウモロコシを収穫するベティ


 2014年6月の決選投票によって再任された現職のサントス大統領は、これまで通り反政府ゲリラ、コロンビア革命軍(FARC)との和平交渉を進める意思を表明している。同じ月にもう一つのゲリラ、国民解放軍(ELN)とも和平交渉がスタートすると報道があった。誰もがうんざりしているこの戦争は終わるのか。
 
 ゲリラが活動する農村には多くの地下資源が眠っているという。多国籍企業の進出を危惧する先住民族の声がある。一部ではすでに、住民の意思に反し開発が始まっている。そういった場所では、一度は解体された右派民兵が形を変えて活動しているという報告もある。暴力は、外の世界から見えにくい場所で激しく燃え続けてきた。今も昔も、その犠牲となるのは力の弱い人々だ。
 
 コーヒーは5月から8月にかけてが収穫期。1年に一度の稼ぎ時だ。木には熟する前の緑の実がたわわに実り、強い太陽に照らされ輝いていた。それを横目に、久しぶりに雑草の刈り取りを手伝った。暫くすると、ベティーが冷めたコーヒーを鍋に入れて差し入れてくれた。コップですくってガブリと飲む。この甘さが、やっぱりここでは一番いい。「お昼までもう一息やるぞ!」。カルロスに促されて、再びマチェテを握った。
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