日記9.2

  • Day:2013.09.03 01:56
  • Cat:日記
山道をバイクの後ろに乗って一気に降り下った。
ある地点で空気の温度が変わる。露出した肌にまとわりつく。
と同時に匂いが変わる。なんでだろう、その匂いに、急に胸が高鳴り叫びたいような思いに駆られた。
懐かしさが沸き起こる。何を思っての事かよく分からなかった。後から思い返すと、子供の時の記憶と結びついたんだなと感じた。という独り言。

更新のし易さから、フェイスブックに近況を書き連ねている。
ただ、FBでは同時に沢山の人が発信する情報が溢れていて、それに目を奪われすぎると自分の内側を見つめる作業がおろそかになる。ということを今感じている。

写真家の宇田有三さんが、内村鑑三氏の言葉を引用した中村哲氏の著作の一文をブログの中で紹介している。心に留まったので、引用させていただこうと思う。

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中村さんは内村鑑三の著作から引用して、こう述べる。
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 同著の中で内村は述べる。
 「私たちの生かされたこの世界に、何かお礼を置いて逝きたいというは
 清らかな欲望である。さて、何を遺すか。先ずカネがある。カネを卑しんでは
 いけない。カネによって善い事業を起こせる。諸君、よろしくカネを作るべし。
 そこで、或人々にはカネは作れないが、事業を遺すことができる。農業を興し、
 日本を緑あふれる楽園とせよ。
 だが、カネも事業も才能に恵まれなければ、文筆を以て精神を遺せる。
 今できぬ戦を将来に託せる」
  こう説き及んだ末に、内村は結論する。
 「ではカネも、事業も、文筆も、いずれの才にも恵まれぬ場合はどうしたら
 よいか。ここに誰にもできて、他の誰にも真似できぬ最大の遺物がある。
 それは、諸君の生き方そのものである。置かれた時と場所で、諸君の生きた
 軌跡が人々の励ましや慰めとなることである」
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(以上)

青空文庫から原文の『後世への最大遺物』(内村鑑三)をダウンロードして読んでみた。
最後にこうある。

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こういたさねばならぬと思うたことはわれわれはことごとく実行しなければならない。もしわれわれが正義はついに勝つものにして不義はついに負けるものであるということを世間に発表するものであるならば、そのとおりにわれわれは実行しなければならない。これを称して真面目なる信徒と申すのです。われわれに後世に遺すものは何もなくとも、われわれに後世の人にこれぞというて覚えられるべきものはなにもなくとも、アノ人はこの世の中に活きているあいだは真面目なる生涯を送った人であるといわれるだけのことを後世の人に遺したいと思います。

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以前、亡くなったある方のお別れ会に参加した。その時に、故人のパートナーであった方が「丁寧に生きた人」と故人を表現していた。以来、僕の中で「丁寧に生きる」ということがずっと留まり続けている。人と接するとき、事物に向き合うとき、自分自身を見つめるとき。

今、先の自分を思い描くことができないでいる。
自分はどうなりたいのだろうか。
何を甘っちょろいことを。

よし、と、出かけるかぁ








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