【コロンビア日記56】食事

先日写真をのせた、アラヤンというコミュニティーでのイベントの時、来場者のために牛が一頭つぶされた。集会など人が集まる時にはこうして牛や豚など家畜をつぶしてみんなで腹いっぱいたべる。ほんと、腹がはちきれんばかりに。

別のコミュニティーの学校で14年間教鞭をとる都市出身のある先生は、それまでベジタリアンだったという。初めてその山間の学校に来たときにミンガがあった。ミンガとはその土地に暮らす住民による協働作業。この日が道路の整備だった。仕事の後に巨大な肉の塊に入ったスープが出てきた。先生は「ごめんなさい」と言ってこのスープを残したのだそうだ。

その後学校に戻ると、当時校長を務めていた神父さんがいた。神父さんは肉を残した話を聞いて「ここはいつだって肉、肉、肉、肉だ。ベジタリアンなんてもうやめなさい。きみはそれを食べないといけない。」と諭された。普段の生活で肉を食べることは少ない。家庭にもよるのだけど、大方の家では自分で作ったバナナ、ユカ芋、豆、トウモロコシ、それに最近では買ってきた米を食べる。質素なものだ。人が集まった時に肉をみんなでたらふく食べるということに、体験や思いを共有する意味があるように思う。

また、日常の中での事だが、人の家にお邪魔するとご飯が出てくることが多い。それはきちんと食べることがここでの礼儀なのだ。さっき食べてきたという時でも、やっぱりきれいに平らげないといけない。

ある集落に行った時の話。僕はその土地のことをあまりよく知らなかった。友人とある集落の各家庭を訪ね、家族構成や仕事などについて聞いて歩いていた。訪ねる家ごとにご飯が出てくるのだった。3件くらいは食べきったが、もうどうしても入らなくて4件目で断った。その家を出た時に一緒に歩いていた友人にとがめられた。「ここでは食べ物はとても大切なんだ。それに、来訪者に食べ物を振る舞うことはその人を受け入れるということになる。どうしても食べられない時は袋に入れて持って帰らないといけないよ。無下に断ると、お年寄りなんかだともう家に上げてくれないこともあるからね。」

僕はまだ、遠慮していい場面とそうでない場面の区別がつかない。地元の人だとその境があるようだ。分からないから出されたものはきちんと平らげることにしている。うまそうに食べると喜ばれるというのもある。どうしてもだめなときは持ち帰る。
それに、よそ者の僕にとって、ご飯を頂けるということは本当にありがたい。同じものを、一緒の席で食べることができるということが単純に嬉しい。お蔭で太ってしまっている。思いつくままに書いていたので結べなくなってきた。食べるということは大切なコミュニケーションなんだな。

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コロンビア・ナリーニョ県アラヤン


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