「ペルー先住民族アマゾン蜂起 「バグアソ」の現地を訪ねて」 (「先住民族の10年News 第167号」先住民族の10年市民連絡会)

バグアソから一年の2010年6月に現地を訪ねました。
前回の記事からの続きになります。
(「先住民族の10年News 第167号」先住民族の10年市民連絡会発行 )

ペルー先住民族アマゾン蜂起 「バグアソ」の現地を訪ねて

2010 年6 月5 日、焼けるような強い日差しの下、ペルー・アマソナス州バグア市郊外に1000人を超える人々が集まった。ちょうど1 年前の2009 年6 月5 日、この場所で、セルバ(アマゾン熱帯雨林地帯)に暮らすアワフン、ワンピ両先住民族と軍・警察の間で激しい衝突が起きた。ペルー先住民族のアマゾン蜂起、後に「バグアソ」と呼ばれるこの事件は、死者34 人(警察25 人、先住民族9 人)、行方不明者1 人、200 人を超える負傷者を出す。セルバ地方の資源開発を進める政府の一方的な法令制定に抗議した、2 カ月にも及ぶ住民による道路封鎖の最中の事件だった。(本誌第156 号に関連記事あり)

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バグアソの現場となった丘から、セルバへ走る幹線道路を眺める


1.2009 年7 月、事件後のバグアへ

 昨年(2009年)、事件直後に現場の映像をYouTube で目にする。ヘリコプターが飛び交い、大勢の兵士、警察官、抗議に参加していた人々の怒号、鳴り響く銃声、血を流し引きずられる人々が映し出されていた。これは戦場ではないか。映し出さ
れる映像が信じられなかった。その時点では、抗議する先住民族に多数の死者・負傷者が出ており、軍は死者を隠すためヘリコプターで森へと運び捨てているのではとの情報も流れ、警察側にも多数の死者が出ているということだった。2 カ月に及ぶ抗議行動の末のあまりに苛烈なこの事件を私はどうしても信じられなかった。

 何故?という思いが日に日に強くなり、事件後の昨年7 月末に現場へ向かう。現場に立つことで分かることがあるのでは
ないか、そんな気がした。ひと月ほどバグア、セルバの村々を歩き、事件に関わった人、抗議を起こした先住民族の暮らし
を目する。私がそこで目にしたのは、外部から押し寄せる波に翻弄される人々の姿だった。

 アマゾンへと続いてゆく大河、マラニョン河に注ぐいくつもの支流に、当事者であるアワフン、ワンピ両民族のコミュニティー
が点在している。唯一の交通手段のボートで、あるコミュニティーを訪ねると、器一杯のマサト(ユカ芋の発酵酒)と、畑で採れたユカ芋を蒸かし、切り分けられたサトウキビで招かれる。ジャリネの葉で葺いた屋根と竹に似たカーニャブラバを組んだ家、飛び交う民族の言葉、ほぼ自給自足と言えるその暮らしは、外の世界とは明らかに違ったリズムで時間が流れている。私
には、ここはここでの暮らしが成り立っているように思えた。その夜、蝋燭の明かりの中でコミュニティーの人たちと話をした。ここには電気が来ていない。

 彼らは静かに現状を訴えた。お金がないため体調の悪い家族を病院へ連れて行けない、換金作物を作っても運搬手段・費用がなく、不定期にやってくる買い取り業者に安く買い叩かれる、いまだに電気がない――。国に顧みられることのなかった人々の声だ。しかし今、「国の発展」を掲げる政府は、セルバに眠る地下資源に目をつけた。彼らの目にはセルバで生きる人々の顔は映らない。次第に声が熱をおび始めていく。漠然とした世界的な力が、開発という形で突然自らの生活を脅かす存在として現れた。「リマ(ぺルーの首都)だけがペルーじゃない」「ここで生まれた、だからここで死にたい」吐き出される言葉に、彼らの怒りを感じた。

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ペルーのアマゾン蜂起「バグアソ」の現地を訪れて出会ったアワフン民族の子どもたち。


2. 2010 年、事件から1 年後のバグアへ 

(1)「バグアソ」1 周年

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バグアソの現場となったカーブに建てられた看板には、「ESPERANZA(希望)」の文字が大きく書かれている。

 あれから1 年がたってなお、私の頭にはあの衝撃的な映像が残っていた。ペルーではILO169号条約に基づき、先住民族に影響を及ぼす行動を起こす場合、事前に当事者である先住民族との協議を義務化する法案が議会で承認される(後、大統領の意見書付きで国会へ差し戻される)。

 人々は事件を乗り越え前に進んでいるように思える。しかし、バグアソはもう過去のものになってしまったのだろうか。私にはどうしても整理できない。あの映像から伝わる、異様な熱は一体何なのか。セルバの人々にとってあの事件とは何だったのだろうか。とにかくもう一度現地へ行かなければと思った。1 年後の様子を見るため、再びバグアへ向かった。

 6 月1 日、夜行バスで早朝のバグアに着く。空は曇り湿気に包まれている。私はそのまま現場となった地点に行くことにした。幹線道路を走る車を拾う。「現場となったカーブへ行きたい」ことを告げると、隣に乗り合わせた男性に話しかけられる。「この1 年で何が変わったのか。なにも変わってはいない」。街に暮らすその男性の言葉に憤りが感じられた。彼は6 月5 日に大きな集会が開かれると教えてくれた。

 現場となった場所はバグアから20 分ほどの所にある。マラニョン河に沿って直線に延びる幹線道路が、小高い丘を包むようにカーブを描く。CURBA DIABLO DE BAGUA(バグア悪魔のカーブ)と呼ばれるこの一帯に、2000 人から多い時4000 人もの人々が2 カ月にわたり寝起きしていた。数日前に建てられたという路肩の看板には、キリストの絵とともに、CURBA DE LA ESPERANZA(希望のカーブ)と書かれており、人々が寝起きをしていた丘の斜面には、昨年も目にした抗議活動をしていた人たちが使っていたという、プラスティック製の食器が、朽ちた姿で散在していた。

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6月4日、警官隊に囲まれながら現場となった丘を目指す人々。

 6 月4 日の夜、バグアと現場の中間地点から現場となったカーブへ行進が行われた。スタート地点には大型バス2 台で乗り付けた、武装した警官隊が待機していた。アマゾン北部の先住民族組織ORPIAN を中心とした数十人の人々の間に、警察が行進を妨害するのではと緊張が高まる。「我々はあなたたちの護衛に来た」という警官隊が、行進する人々の両側を
挟み行進が始まる。無言のまま闇の中を黙々と歩いて行く。まっすぐ前を見つめ行進する人々の目に両側を歩く警官隊はどのように映ったのか。事件後1 周年を控えたこの日に、武器を持った人間をよこすその考えが理解しがたい。

 1 時間ほどで現場となったカーブに着くと、数百人の人々が行進の到着を待っていた。そこで蝋燭が配られ犠牲者に祈りがささげられる。

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現場の丘で黙とうが捧げられた。


 6 月5 日、青空のもとでバグアソ1 周年の集会が開かれた。ペルー各地より地域の指導者が集まり、バグアソの後ニカラグアへ亡命し、5 月26 日に帰国したアルベルト・ピサンゴ氏(AIDESEP〈ペルーセルバ開発民族連合〉代表)(注)も現場に姿を現した。

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バグアソ一周年の集会で演説をするアルベルト・ピサンゴ氏

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バグアソ一周年の集会に駆け付けた男性。「兄弟であるナティボ(先住民族)のために立ち上がる」と叫ぶ。


(2)葛藤の中で

 1000 人をゆうに超えるであろう大勢の人々の熱気の中で気付いたことがある。この場にいる人たちの中に、本当の当事者であるセルバの人がどれくらいいたのか。全員と話したわけではない。しかし、私が声をかけた人はハエンやバグアといった街に暮らす人々で、そのほとんどは街で生まれ育った人だった。彼らは「セルバの兄弟のために立ち上がる」と言う。多くの人たちはバグアソに憤り、政府の対応に不満を持っている。しかし、街に暮らす人々と、セルバに暮らす人々の間にはっきりと言
葉にはできないが、微妙な距離が感じられた。セルバに暮らす人々の間でもメスティーソ(混血)とナティーボ(先住民族)の間で距離がある。実際バグアソについても、セルバで先住民族コミュニティーの近くに住むあるメスティーソの若い女性は「あれはナティーボの問題だから」と関心は薄い。そう話す人がいるのも事実だ。近くに暮らしながらも、別々の生活・文化圏で暮らす両者の間にははっきりと壁がある。

 集会の後、車で行けるセルバ最奥の町ニエバに3 日間滞在した。そこで出会ったアワフンの男性が彼のコミュニティーへ招待してくれた。ニエバは地域の交易の中心をなし、住民の多くはメスティーソだ。ニエバから徒歩で15 分足らずのコミュニティーは、ニエバとは別の文化圏を成す。スペイン語を話すその男性もそこでは民族の言葉を使う。彼の家で昼食をよばれた。
燻製にしたイノシシの肉と、蒸かしたユカ芋を私に差し出しながら「質素だけどうまいぞ」と自嘲気味に笑う。そして、コミュニティーに電気・ガスがないこと、ジャリネの葉・カーニャブラバで組まれた家を指し、自分たちの生活は貧しいとこぼす。それは外部の人間が「伝統的な生活」と憧れや珍しさの目で接する風景だ。彼は町の生活と自分たちの暮らしを比較しているの
かもしれない。しかしその一方で、午前中で仕事を切り上げ、自家製のマサトで私をもてなし、小鳥に口移しで餌をやりながら、「リマの人間は、ナティーボは怠け者だと言う。だが、ここにはここの生き方がある」と強い口調で言う。これまでの生活と押し寄せる別の価値観の中で、自分自身の価値を見失いそうになる人々の姿がある。ここにも彼らの葛藤があるように思えた。

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仕事を途中で切り上げ、私をもてなしてくれた男性は「ここにはここの生き方がある」と憤った。


3. 終わりに

 バグアソでマグマのように溢れだした熱の意味を、私はまだ理解することができないでいる。いくら当時の様子を聞いても、分かった気にはなるが、自分の事として置き換えることができない。バグアソとは何だったのか。当事者である人々を理解していない私が、それを結論付けることはできない。それでも、人々の思いがどこにあるのかを想像したい。そして、もう一度現地に足を運びたいと思う。

 国益を掲げ開発を進める政府は、セルバの人々の抱える思いをどう受け止めようとしているのだろう。国とは何か。彼らもまたペルーに生きる人々なのだ。 

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アワフン民族コミュニティーにて。外部の価値観が、彼ら自身のアイデンティティーを揺さぶる。

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大河を小舟が行く。家路につく人々。

(注)ピサンゴ氏は、8 月11 日、先住民族による政党を結成し、2011 年の大統領選に候補者を立てる予定と発表した。(AFPNews より)
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