「セルバの声 ― ペルー・アマゾン地方」 (sonrisa121号掲載 2009年9月発行)

2009年6月5日、ペルー・アマゾン地方で、資源開発をめぐり、先住民族と軍・警官隊による大規模な衝突が起き、双方合わせて33人の死者と多数の負傷者がでました。

事件直後の2009年8月に現地を訪ねました。

日本ラテンアメリカネットワーク発行の「sonrisa」に寄稿した記事です。

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 「セルバの声 ― ペルー・アマゾン地方」(バグアソの現場から)
(sonrisa121号掲載 2009年9月日本ラテンアメリカネットワーク発行)
 


「私はここで生まれた。だから、ここで死にたい」

焼畑の火入れを終え、熱くなった体を川で冷やしながら、アワフン民族のアメリコさんは話す。茶色く濁った水を湛えるマラニョン川が、セルバ(アマゾン熱帯雨林地帯)の木々を水面に写しながら流れていく。

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マラニョン川を行き交う船

 二〇〇九年六月五日、ペルー・アマソナス州バグア市近郊で、幹線道路を封鎖するセルバに暮らすアワフン民族・ワンピ民族と軍・警官隊との間で激しい衝突が起きた。双方に数十人の死者、一〇〇人を超す負傷者を先住民族側に出すに至ったこの事件は、豊富な天然資源を有するセルバ地方開発を目的とした、政府による一方的な法令の制定に端を発する。自らの頭越しに進められていく資源開発に対し上げられた先住民族の怒りの声を、政府は力でねじ伏せようとしている。

1.セルバへの入り口

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いくつもの支流に沿ってアワフン民族の暮らすコミュニティーが点在する。アワフンとは彼らの言葉で「水と共に生きる人々」を意味する。

 褐色の乾いた大地をひた走る幹線道路の先に、セルバへの入り口となるバグア市がある。同じアマソナス州にバグア・グランデ(大バグア)という町があることから、バグア・チカ(小バグア)と呼ばれている。乾季が終わろうとしている八月、今年は例年にも増して雨量が少なく極端に乾いた町に強烈な太陽が照りつける。渇いた喉を潤そうと路上で豆乳を売るおばさんに声をかける。大きな氷を浮かべたバケツ一杯の豆乳から、なみなみとコップに注いでくれる。一息に飲み干すと、さらにもう一杯注いでくれた。「それにしても暑いですね」と声を掛けると、「あら、すごく寒いでしょ」と茶目っ気のある笑顔が返ってくる。暖かい地域に暮らす人たちの和やかな空気が街の中に流れている。

今回の抗議の中心となったアワフン民族・ワンピ民族は、町から望む山脈の反対側に広がるセルバ ( アマゾン熱帯雨林地帯)で暮らしている。セルバでは一年を九月から十一月の雨季と、十二月から八月の乾季に分けられる。乾季でも週に何日か雨が降り、その豊富な雨量が様々な生命が息づく熱帯雨林の源となっている。雨季には川幅が一〇〇メートルを超えるというマラニョン川が、いくつもの支流を湛え大きく蛇行しながら、後にアマゾン川へと名前を変えてゆく。
 
バグアからセルバへと一本の未舗装道路が走る。メスティーソと先住民族が混在する町が道路沿いにいくつかある。その他大部分の地域に道路はなく、マラニョン川とその支流沿いに点在する四〇〇あまりのコミュニティーで、およそ六万八〇〇〇人のアワフン民族・ワンピ民族が生活している。そこではペケペケと呼ばれるモーターを付けた木製のボートや手漕ぎのボートを移動手段にしている。


2.コミュニティーでの生活

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アワフン民族コミュニティーの朝

 ACID(アマソナス先住民族共同体開発協会)という組織で先住民族のための活動をしているアワフン民族のホセさんが、彼のお姉さんが住んでいるというアワフン民族コミュニティーへと案内してくれた。ペケペケでマラニョン川を走る。ボートを降り森の中を歩くと、黒く焼けた地面を露にする焼かれたばかりの畑、たわわに房を実らすバナナ畑が現れる。この辺りでは焼畑で開いた畑にバナナ・カカオ・ユカ芋・パパイヤ・マンゴーといった熱帯の作物を栽培している。特にカカオは数少ない現金収入を得るものとして力が注がれている。やがて小さな沢を渡ると一〇軒ほどの家が立ち並ぶ集落に辿り着く。家々は、カーニャブラーバというサトウキビに似た植物を壁に、ジャリーナの木の葉を編み屋根にする。ここも含め多くのコミュニティーは家族単位で集落を形成しているという。ホセさんのお姉さんの家に辿り着く。お姉さんは私の存在に初め戸惑っていたようだが、蒸かしたユカ芋と一口大に切り分けたサトウキビを皿に盛って差し出してくれた。久しぶりに会うという姉弟の周りに次第に人が集まる。アワフン語で話される彼らの会話は私には分からないが、その独特のリズムと時折はさまれる笑い声はゆったりとした音楽のように聞こえた。

 ほぼすべての人がスペイン語を話すが、同民族の間では民族の言葉が話される。コミュニティーにいる限りスペイン語を話す必要がなく、外に出る機会の少ないお年寄りは日常的に使うことがないようだ。ナサレというコミュニティーで暮らす八九歳になる男性は、「私はあまりスペイン語が得意じゃなくてね」と言う。また、彼の父親の世代では全くスペイン語は使われなかったと言う。しかし子供、孫の世代となるとスペイン語とアワフン語をその場に応じて使い分けている。

 ゆっくりとした時間が流れている。広場では子供たちが完全に日が沈んでボールが見えなくなるまでサッカーをしている。日が沈むと、懐中電灯の光が路上を行き交う。このコミュニティーには電気、ガスが来ていない。ここだけではなく、ほとんどのコミュニティーも同じ状況だという。薪で熾した火で料理をし、懐中電灯・蝋燭の光が家の中で人を照らす。畑で作物を栽培し、豚・鶏を飼育し、川で魚を獲る。小さい雑貨店はあるものの、ほぼ自給自足の生活を送っている。アマソナス州政府が発行する観光案内はセルバを「雄大な自然」「伝統的な生活」と謳う。

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日が暮れるまでサッカーボールを追う子供たち。

 しかし、そこには人々の日々の暮らしがある。ここで暮らす若い男性と話していると、「私たちには収入を得る手段がない」と言う。ここでもっとも多く栽培されているのがバナナだ。しかし、交通手段の限られるここには買い付け業者が定期的には来ない。数ヶ月来ないときもある。更に一〇〇本一ソル(一ドル=約三ソル)という安値で買い叩かれている。最も値段の良いカカオでも、一キロ四ソルだという。引き取り手のないバナナは自分たちで食べる以外捨てられる。売りに行くにも、最も大きな町バグアまで船と車で半日近くかかる上、多量の物を運ぶ手段・費用がない。「とにかく作物を作っても売る相手がいない」と嘆く。多くの人が病気・怪我をしても現金がないため、病院のある場所まで行くことがままならない。ニエバというセルバの町の病院で働いていたジャネさんは、毎日ボートで各コミュニティーを巡回診療していた。しかし、病院に人手は足りず、十分な設備・薬もない。政府に支援を求めても全く無駄だった。コミュニティーの男性は、「政府は私たちにこれまで何もしてこなかった。電気もガスもないこの状況を見れば分かるだろう。更に住む場所まで奪おうとしている」と声を荒げる。

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軒先で火を起こすアワフン民族の女性

 
3.先住民族の蜂起

 ペルー政府はこれまでセルバの住民に対してほとんど関心を払ってこなかった。その一方で石油・天然ガス等豊富な資源が眠るその地域に対して「国の発展」を掲げて開発を進める。「リマ(政府)にとって、ペルーとはリマ、リマこそがペルーなんだ」とACID のホセさんは話す。いったい発展とは何なのか。

 六月五日の事件は、ペルー政府が米国政府との自由貿易協定発効に向け数十の法令を公布したことに端を発する。先住民族コミュニティーの土地所有権、生活の場であるセルバの自然環境に非常な影響を及ぼす恐れのあるこれらの法令が、当事者である人々の頭越しに決められていく。これに対して二〇〇八年八月よりセルバ複数の州で先住民族による抗議行動が始まった。一旦は非常事態宣言が出されるまでになるが、後、セルバ各州に暮らす先住民族の全国組織であるAIDESEP(ペルーセルバ開発民族連合)の代表と国会の間で合意がなされ、数十の法令の中でもコミュニティー所有地の譲渡に関る法令一〇一五と一〇七三が撤廃され一応の収束を見た。

 二〇〇九年に入り、AIDESEP は更に九つの法令の撤廃を要求する。二〇〇九年四月九日より再び、先住民族による抗議行動が始まる。アマソナス州ではバグア市近郊の幹線道路が封鎖された。
 
 二ヶ月に及ぶ抗議行動にも政府による対応は進まなかった。そして六月五日を迎える。


4.六月五日の衝突

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六月五日、現場の丘で腹部を銃弾が貫通した。二回の手術をおえ三回目の手術を待っているワンピ民族のサンチアゴさん。


 事件後、「バグア悪魔のカーブ(CurvaDiablo de Bagua)」と呼ばれるようになった現場は、マラニョン川と並行するように一直線に走る道路が、そこだけ小高い丘に沿ってS 字にカーブを描く。乾燥しきった丘の斜面には二メートルほどの細木が点々と茶色の地面を露わに立っている。二〇〇〇人から多いときで四〇〇〇人もの人々が、二ヶ月間にわたってここに寝泊りをしていた。事件後二ヶ月がたった八月初旬、丘の斜面には当時使っていたと思われるプラスチック製の皿やフォークが散乱していた。川沿いの茂みには警官隊によって発砲されたガス弾・銃弾が今も散らばり、それを拾う人達の姿があった。

 丘を望む場所に暮らす女性は、当日を振り返り、「丘の斜面や道路には沢山の人が横たわっていた。それが死体なのか怪我人なのかは分からないが、とにかく沢山の人がそこら中に横たわっていた。」と言う

 またその日、道路脇で寝ていたサンチアゴさんは、早朝五時過ぎに騒がしい人の声で目を覚ました。すると丘の中腹で続けざまに銃声がなった。逃げる人達が目に入る。彼自身も丘へと登った。そのときに腹部を銃弾が貫通し倒れた。丘には一〇〇〇位の人達が寝ていたと言う。

 抗議行動が始まってからほぼ二ヶ月間そこに寝泊りしていたという女性も道路沿いに寝ていた。早朝五時半頃、丘の上のほうで銃声がなりだす。六時過ぎごろ上空にヘリコプターが飛んできて、そこからも発砲してきた。しばらくすると幹線道路の両方向から警官隊が現れる。あたり一面に催涙ガスが立ち込め、銃声が響きわたる。「動物でも撃つようだった」と言う。

 当時、アマソナス州セルバのペトロペルー第六石油施設を望むコミュニティー、クス・グランデには八〇〇〇人あまりの先住民族が集まっていた。バグアからの知らせを聞くと群衆が施設を警護していた警察官を襲い殺害する。

 現地には六月五日から十日にかけて夜間外出禁止令が出される。幹線道路の交通の往来はあるものの、現場となった丘には警察が入り、その他一切の立ち入りが禁止された。

 後に、政府による事件の調査結果が発表された。死者三四名(警察官二四名、先住民族一〇名)行方不明者、警察官一名。

 しかし、いまだ相当数の人々がセルバのコミュニティーに帰っていないとの報道もあり、先住民族側の死者・行方不明者に関しては、深い疑問がもたれている。

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六月五 日の現場を訪れる被害者の遺族。 事件から一か月後、犠牲者を追悼するため、丘に十字架が立てられた。


5.セルバの声

 近年、三・四世代の間でアマソナスのセルバではスペイン語が行き渡ったという。それ以前の何十と言う世代を生きてきた人達から比べると大変な変化を意味するだろう。外との関りと言う必然性がなければ、ここまで普及することはなかったように思う。次々に持ち込まれる新しい価値観は日々の生活を変えていく。目に見えて加速していく変化の中で、土地の所有や民族の文化に対する意識など、個人・社会の葛藤はより深くなっている。それでも世界的な変化に比べればまだ緩やかなものかもしれない。しかし、そこへ今「資源の争奪」と言う人間の欲望をむき出しにした、現在の世界を覆っている価値観そのものが巨大な資本を伴って目の前に現れる。「世界」「国」というほんの一部の人間の持つあまりにも大きな力の前に、蝋燭を節約した暗がりの中で話される人々の悩みはあまりにもはかない。

 生きるということに対する危機感から立ち上がった人々を政府は「テロリスト」と呼ぶ。中央のリマから遠く辺境に暮らす彼らの顔、声はこれまで「雄大な自然・伝統的な生活」と言った観光案内にあるイメージの内側にあり、リマに届くことがなかった。今そのイメージを引き裂いて現れた人々はリマに生きる人々と変わることのない同じ人間だ。しかし、国は憤り訴えかける人間の顔・声に対して「動物に対するように」銃弾を浴びせた。そして「テロリスト」と言う言葉で、現れた彼らの姿を再び隠そうとする。

 しかしそれを今、真に受ける人がいるのだろうか。

 六月五日の映像はすぐさまインターネットで世界へ飛んだ。地元バグアではDVD となって市場で売られている。ACID のホセさんは言う。「今回の事件で世界の目がセルバに向いた。こんな形によってだが、今までになかったことだ。」

 天然資源というほぼ全ての人間にとって共通の問題を前に語られる「国」とは、「世界」とは誰を指すのか。「私たちだってペルー人だ」と言う人々の「ここで生まれた。だからここで死にたい」というささやかな願いは、強い光を持った世界を形作る一部分である。そう考えるのは理想的過ぎるのだろうか。

 セルバの深い木々の間から人々の声が溢れ出した今、その声にどれだけの人達が耳を傾けられるのか。その声がより遠くへと響くほど、人間は新たな可能性を見出せるのではないか。

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セルバで暮らすアワフン民族の女性。彼女は足を痛めるが、病院へ行く交通費がない。

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カーニャブラバで組まれた家に、ジャリネの葉で屋根を葺く。

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水辺で遊ぶ、アワフン民族の子供たち。



※小見出し3「先住民族の蜂起」で一連の経緯を、筑波大学大学院(当時)・岡田勇氏が、先住民族の一〇年市民連絡会発行『先住民族の一〇年News』第百五十六号に寄稿された「ペルー先住民族のアマゾン蜂起」を参考に致しました。
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