紛争と原発事故 (「ジャーナリスト」第648号)

JCJ(日本ジャーナリスト会議)発行の「ジャーナリスト」第648号にコロンビアの紛争によって故郷を追われたある老人についての記事を寄稿しました。

以下に転載します。
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紛争と原発事故  

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早朝、一杯のコーヒーを飲むフベナルさん。(コロンビア・ナリーニョ県クンバル市 2011年12月撮影)


高地の風が冷たく、吐く息が白む。紛争避難民となったフベナルさんはコロンビアの南部、標高3100メートルの町で妻と長男の3人で支えあい暮らしている。10年前、激化する紛争から逃れるため、故郷から約100キロ離れた人口2万2000人の町にバック一つを抱えて避難した。彼は現在80歳を超えている。
 
パスト民族のフベナルさんは20代前半で結婚。肥沃な土地を求めて、アンデス山中の温暖な地域の集落に移住した。山を開墾し、4人の子供を得て、住民が家族のような社会で穏やかな生活を50年近く営んできた。
 変化は1990年代前半。麻薬目的のコカ栽培が現金収入の乏しい地域に確実な収入源として広がった。現在、コロンビアで国内紛争の大きな要因となっている問題だ。
政府の影響力が弱い農村の一帯に、コカ生産地を押さえようと武装勢力が入り込む。住民は対立する武装勢力の間に挟まれ暴力が日常化していった。山々に銃声が響き、集落の周囲には地雷がまかれた。
 
フベナルさんは長く地域の先住民族指導者として活躍してきた。1996年、自分の暮らす集落を一定の自治権を持つ先住民族領域として国に登記し、初代の首長を務める。彼にとって年齢的にも残りの人生をかけた大仕事だったはずだ。コカ栽培に対しては「悪魔の作物」と呼び距離を置いた。しかし、自ら築き上げた居場所を暴力が奪った。
 フベナルさんら高齢者にとって、アンデス山中の農村での暮らしは生き方そのものだった。「再びいつか、自分の土地で(主食の)ユカ芋を作りたい」。わずかな望みが生きる糧となっている。
 
東日本大震災で日本で同じような状況が生まれた。紛争と原発事故。原因は異なっても、個人の身に起きることに変わりがない。
フベナルさんに聞かれた。「日本には戦争はないんだろ? お前はいい国に暮らしてるな」。今の日本を知らない彼に、どう答えていいのか分からなかった。
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