紛争と先住民族 コロンビア・ナリーニョ県(先住民族の10年NEWS第182号)

アイヌ民族を中心に、世界の先住民族の情報を発信している「先住民族の10年市民連絡会」 の機関誌にコロンビアで紛争が原因で故郷を追われた人々の記事を寄稿しました。

一部表現を訂正し、以下に転載します。
読んでいただけたら嬉しいです。
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紛争と先住民族 コロンビア・ナリーニョ県


パスト民族のマヌエル・アサさん(56)は2002 年、紛争が続く故郷コロンビア・ナリーニョ県から家族とエクアドルへと渡った。以来、難民として生活を送っている。ナリーニョ県はコロンビアの南西部に位置し、エクアドルと国境を接している。
 コロンビアでは、1960 年代から続く内戦の影響から住む場所を追われる人々が後を絶たない。90 年代以降、対立するゲリラ・右派民兵組織が麻薬取引から資金を得るようになり、原料のコカ栽培に適したナリーニョ県の温暖な地域が紛争に巻き込まれていく。武装組織が活動する山間部に先住民族コミュニティーが点在する。暴力により土地を追われる先住民族がいる。

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マヌエルさんとエステリさん夫妻。先の見えない難民生活の中、寄り添い生きている。(エクアドル・カルチ県 2011年12月撮影)

1. 難民訪問

 2011 年12 月、エクアドルに暮らすマヌエルさんを訪ねた。
 エクアドル北部カルチ県の、標高1000 m付近にアレナルという集落がある。そこにマヌエルさんは妻のエステリさん(47)と甥の3 人で暮らしている。
 エステリさんの後をついて、山で働くマヌエルさんの所へ向かった。茂る草木の間の小道を歩いていると、木の倒れる音が響いた。日差しが強い。「よく来たなぁ」。マチェテ(山刀)を持つ汗だくのマヌエルさんが、爽やかな笑顔で立っていた。生い茂る木々を切り倒し、トウモロコシの種をまこうと畑を開墾していた。
 この地域には、およそ30 家族の難民となった人々が暮らしている。彼らのほとんどが同じコミュニティーに暮らしていたナリーニョ出身者だ。風土が故郷と似ていることもあり、地縁を頼って集まってきた。
 私は2007 年、「難民」の暮らしを知るために彼らを訪ねた。その時マヌエルさんとも知り合い、以降、毎年訪ねるようになった。

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母親代わりの叔母に髪をとかしてもらう難民の少女。(エクアドル・リタ市 2011年12月撮影)

 
2. 故郷の暮らし

 マヌエルさんは、1956 年、コロンビア・ナリーニョ県のクンバルで生まれた。クンバルは標高3100 mの高地にある。ジャガイモやソラマメの栽培が盛んだ。人口約2 万人の町にはパスト民族が多数暮らしている。
 彼は幼くして、同じナリーニョ県のマグイというアンデス山中のコミュニティーに家族と移住した。マグイには、アワ、パスト、2 つの民族が隔てなく生活していた。エクアドルへ来るまで人生のほとんどをマグイで過ごした。
 マグイで最初の夫人との間に3 人の息子を授かった。事故で彼女を亡くした後、現在の夫人であるエステリさんと一緒になる。彼女はマグイ出身のパスト民族だ。エステリさんとの間に1 男1 女が生まれた。
 彼は、1 年を通して温暖な気候のマグイで、サトウキビや主食のユカ芋・バナナ・トウモロコシなどを作っていた。収穫があると家族が食べる分を残し、アルタケルという町の市場へ馬で8 時間かけ作物を売りに行く。売ったお金で塩や油、その他の生活用品を買って戻る。そこで酒を飲むのも楽しみだった。飲みすぎて寝てしまっても、道を覚えている馬に乗っていれば安心だったという。
 コミュニティーは、日本の農村の「結」にも似た「ミンガ」と呼ばれる協働作業が営まれていた。家を建てる、道路を整備する、そういった作業に各家庭から人手を出し合った。1996 年に、リカウルテという市の一部であったマグイが先住民族領域として国に登記されると、法的に一定の自治が認められたが、それ以前もカビルドという住民による評議会が中心となり、1つの家族のように共同体が運営されてきた。

3. コロンビア・ナリーニョ県の現状

  1990年代に入り、麻薬の原料としてのコカ栽培が地域に広がる。コカは手間がかからず安定した収入源となることから、人々はそれまで栽培してきた作物から転作していった。もともと政府の影響力が弱い地域に、コカの生産地を抑えようとする武装組織が入り、住民が間に立たされていった。
 マヌエルさんは2002年にマグイを去った。
 当時マグイでは周辺では、山間に潜伏するゲリラ部隊と軍の戦闘が日常化していた。また、ゲリラとの繋がりを疑われ、敵対する民兵に殺害される住民がいた。
 更にある時期から、軍・民兵の侵入を防ぐためにゲリラが山に地雷をまき始めた。町へのビル一本の道にも、地雷が仕掛けられた(これは夜間のみで朝になると撤去されたという)。地雷の犠牲者が相次いだ。マヌエルさん自身、危うく地雷を踏みそうになったことがあったという。畑に行くことすら難しく、もはや日常生活を送ることが困難になっていた。
 安心して生活する場所を求めて、彼は家族とマグイを去る決断をした。
 コロンビアで地雷被災者に対する救援プロジェクトを進めるJICA(独立行政法人国際協力機構)によると、コロンビア国内全32県のうち、実に31県に地雷が埋設されているという。2005年における地雷による年間の死傷者数は、1110人と世界最多となっている。2000年に対人地雷禁止条約(オタワ条約)を締結以降、政府として地雷対策を進めてきているが、紛争地帯である山間部は武装勢力の力が強く、撤去作業に手を付けられない。更に、依然として新たな地雷がまき続けられている。
 昨年12月中旬、私はコロンビア・ナリーニョ県のアルタケルという町を訪ねた。ここには紛争が原因で避難民となったマグイなどのコミュニティー出身者が多数暮らしている。滞在中、マグイに暮らす62歳の男性が亡くなったという知らせが届いた。彼はこの3か月前、畑に向かう途中で地雷を踏んだ。右手右足を失い都市の病院で治療を受けていたが、この日亡くなってしまったのだ。葬儀はアルタケルで、マグイ出身の仲間たちの手で執り行われた。泣きながら子どもたちが棺にしがみついていた。「働くのが好きな、いい男だった」。彼の仲間がそう話す。
 亡くなった男性は一度もマグイを離れずに暮らし続けてきたが、大部分の住民が避難し無人に近くなったこともあったという。しかし最近は、避難先で生活基盤を築けず、危険を承知で故郷に戻る人が増えている。
 以前エクアドルで知り合った元難民の男性と偶然アルタケルで会った。彼は2007年から2年間エクアドルで難民として暮らしていたが、仕事がなく、コロンビアに残してきた家族の心配もあり、2年前にコロンビアへと戻ってきた。今は、彼の生まれ故郷の集落で息子たちと暮らしているという。時折、山に銃声が響く。地雷の心配もある。しかし、「自分の土地で好きな作物を作れることが嬉しい」と話した。毎日畑に出ているのだろう。エクアドルで見たよりも引き締まり、いい顔つきをしていた。

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地雷で亡くなったアワ民族の男性の葬儀を同郷の仲間が執り行った。(コロンビア・ナリーニョ県アルタケル市 2011年12月)


4.不安定な生活の中で

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「この家が建てられれば、バラバラになった家族がまた一緒に暮らせる」。避難先で資金が足らず建設途中になった家の前に立つ避難民の男性。(コロンビア・ナリーニョ県アルタケル市 2011年12月撮影)

 マヌエルさんを訪ねたのはこれで4度目になる。訪ねる度に彼の住む場所が変わっている。これまで地元の人の家に部屋を借り、農場の日雇い仕事で食いつないできた。居場所が変わるのは、家主の都合か他によい仕事が見つかった時だ。
 昨年からは、長く放置されてきた農場の管理を条件に、地主から無料で家を借りた。賃金はないが、自力で土地を開き好きな作物を栽培していいのだという。「土地が広すぎて人手がほしい」。嬉しい悩みも口にした。しかし、これで将来が安定したわけではない。この場所に住むことを1年間保証されているが、その後は地主の状況次第で、いつ出ることになるかわからない。
 以前、ある人がマヌエルさんたち難民を指して、「彼らは山しか知らない」と言った。マヌエルさんの子どもたちは、仕事を見つけ根を張ろうとコロンビアやエクアドルの他の町で暮らしている。若ければ生活を変えることもできる。しかし、マヌエルさんは50年以上、山で土を耕し生きてきた。これが彼の生き方なのだ。
 ある晩、特別な日以外めったに酒を飲まないというマヌエルさんが、ほろ酔いで帰ってきた。
 「お前はマグイに行ったことがあるか?ないだろ?あそこはうまいチャピル(サトウキビの地酒)が飲めるんだ。ここにもあるが駄目だ。全然うまくない。あれが生まれたのはクンバルだ。そこから2日間歩くとマグイに着く。その間にいくつか集落がある。どこに行っても、うまい酒が飲めるんだ」。
 何があったのだろう。彼は熱心に故郷のことを話し出した。その眼はどこか悲しげに感じた。エステリさんは黙ったまま、優しくマヌエルさんを見つめていた。
 
 二人がエクアドルに来て、もうすぐ10年が経とうとしている。次に私が訪ねた時、2人はどこにいるのだろうか。先の見えない生活が続く。

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紛争から故郷を逃れ、孫と3人で暮らす避難民家族。(コロンビア・ナリーニョ県アルタケル市 2011年12月撮影)
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