日記 11.17 コミュニケーション

今日facebookのチャットで、コロンビアの男の子と会話した。その子はプエブロ・ヌエボという山奥の小さな村に住んでいる。「こんにちは」ってメッセージが届いた。

こっちのお昼時は向うの夜。聞くと、夜の10時を回ったところで、もう少ししたら寝るのだという。「外は雨が降ってて寒いよ」そう話す。

この村は、標高が3000m手前のところにある。晴れてる日中は、強い日差しが注ぎ半袖でも平気だが、日が沈むとなにか羽織るものが必要だ。僕はフリースにヤッケをはおって過ごした。雨となれば、10度を下回ることもあるかもしれない。

パソコンの画面を通して文字で会話をする。内容はいたって他愛ないことばかり。「今どこにいるの?」「そっちは寒いの?」「今度いつ来るの?」そんな質問に僕が答える。分からない単語があると、辞書で調べるので間があく。そうしながら、ふと彼が雨音を聞きながら、PCの前に座っている様子を想像した。

プエブロ・ヌエボには一度だけしかいったことがない。実は彼のことははっきり覚えていない。プロフィールに写真があって、なんとか思いだそうとしたけど、あいまいだ。でも、もし自分が彼の立場だったら、一度だけ会ったガイジンにどんな気持ちでメッセージを送るか。ドキドキしながら一言一言かんがえるかもしれない。もしかすると隣にお母さんなんかがいたりするかも。返事が返ってきたら喜ぶだろう。「ニホンってどこ?」なんて話してることもあだろう。色々想像すると、こっちがワクワクしてきた。がっかりさせないように、覚えてないなんて悟られてはいけない。

「何で見てるの?」と聞くと、「パソコンだよ」と答えが返ってきた。

僕が初めてこの地域を歩いた2007年、ネット環境は、各集落に一か所あるかないかだった。大抵は、政府の援助で学校に支給された中古のパソコンが一般にも開放されていて、そこで一時間50円くらい払いネットを見ていた。速度は一通のメールを送るのに何分かかるのかっていうくらいだったから、あっという間に一時間たってしまう。
それが、2009年にはUSBで接続するインターネット通信端末が普及しだしていた。まだ数は少なかったが、自宅にパソコンを持っている家ではネットにアクセスできるようになっていた。携帯電話はそれ以前より普及しており、その時点ではほとんどの人がもっていた。驚くべきスピードで、情報に接する機会がましていた。いまではおそらく僕たちとそう変わらないと思う。

ただ、情報はあくまで情報だ。普段の山間での生活に結び付いていないものには実感がわかないだろう。
それがだ、今日彼とコミュニケーションを取ったfacebookのように、直接やり取りができる手段がある。彼はどんな気持ちで僕と会話していたのだろう。日本はとても遠いところだ。なんたってココが夜なのに、アッチは昼間だ。これから寝ようとしてるのに、昼飯を食ってるって。そんな奴と話をした。

彼がどう感じているか分からないけど、もし今日会話したことが、彼の中で何か引っかかるものとしてずっと心の中にあったとしたら、それがどう膨らんでいくのか気になる。あくまで僕の勝手な思い込みだけど。

良い面を期待する一方で、悪い面もあるだろう。プエブロ・ヌエボはその地域でもかなり古い習慣が残る場所だ。ナサ民族が多く暮らすそこでは、日常的に彼らの言葉が使われている。伝統的な風習も強く残る。
幼いころからインターネットという道具に日常的に接する子どもたちが、それをどう使いこなしていくのか。それはあくまで彼らが選択していくことであって、私のような外の人間が手出しをすることではない。

とまぁ色々なことを考えながら、今日の会話の不思議な感触が、僕の中にも残っている。
あ、相手に与える影響を考えてたけど、彼の行動は、しっかり僕にも影響を与えてたんだ。今気がついた。これがコミュニケーションだよね。このモヤっとした気持ちは、もう少し温めておこう。何時かきっと形になるはず。

こんど彼にも会いに行こう。

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