【コロンビア日記52】

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集落の自宅から学校へ通う、ホセさんの孫娘たち。
部屋にはかわいい絵が沢山描かれていた。
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【コロンビア日記51】

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6月下旬、僕が滞在する学校のある集落に、軍の兵士を野営を始めた。この地域一帯に、はっきりは分からないが数百人規模の兵士が送り込まれているという。

学校では、ヘンリ先生が持参のカメラで兵士の様子をうかがい、集落のリーダーであるホセさんと状況を見守っていた。

昨年12月以降、ゲリラはこの地域より更に山奥へと拠点を移していった。以来、武装勢力がいなくなり平穏な時期が続いてきた。しかし、軍が入ってきたことで、今後、ゲリラの攻撃もありうる。

これまでおよそ20年に渡って、こうして平穏と緊張が常に繰り返されてきた。住民は翻弄され続けている。

【コロンビア日記50】

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アワ民族コミュニティー・マグイの学校に通う学生。
真ん中の彼クリスティアンはここから丸1日歩いた所にある集落出身でパスト民族。
寮で生活しながら授業を受ける。

パスト民族・アワ民族の分け隔てはない。

【コロンビア日記49】

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コロンビアの滞在期間延長のため、7月6日にエクアドルに来た。
出国前に、国境近くの高原の町に暮らすラウラさんを訪ねると、近所に暮らす姪っ子たちが来ていた。

ラウラさんが作っているのは自家製のチリソース。
各家庭にある日本の味噌か醤油みたいなもの。いろんな食べ物にかけて食べる。それぞれ味が違って家庭ごとの個性がある。

これから、エクアドルで難民生活を送るラウラさんの家族を訪ねようと思っている。

【コロンビア日記48】

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(これを書いた6月当時)
もう雨季が始まって、昼が過ぎるころになると雨が降り出す。
強くなったり弱くなったりしながら、朝方まで降っている。

このところ毎日そんな感じだった。

雨季乾季の区別がなくなってるところが多かったけど、ここはそうじゃないのかもしれない。

【コロンビア日記47】

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トウモロコシの収穫。

【コロンビア日記46】

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天気がいい朝は、強い日差しを受けた谷間の川から雲が湧き上がる。

【コロンビア日記45】

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宴もたけなわ。

【コロンビア日記44】チャピル

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「ううぅ 極楽の味じゃぁ」
分かる人にはわかる。と思う。

土地の酒であるサトウキビの焼酎「チャピル」を飲む。
場所によって「チリンチョー」「チリンチ」「プーラ」など名前が変わるが、山に暮らす人たちの大切な飲み物。

【コロンビア日記43】道路

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マグイの学校に、政府から科学の実験機材が送られてきた。
だが、車が入れる道はないので、この日は午後から休校となり、生徒総出で機材を取りに行った。往復5時間かけて急な山道を担いで歩く。

3年前に地域に電気が初めて通った。
その時は沢山の電柱を人が担いで山へと入っていった。学校のある場所から更に5,6時間の所まで電気が通っている。更に奥にいくつもの集落があるがそこはまだ電気が来ていない。

車が通れる道路の建設は住民の願いだ。
以前より政府の援助はなく、住民が直接海外のNGOに資金協力を申し出て住民自らの手で道路を作ってきた。それも紛争の激化でストップしたままとなっている。

道路がないことが経済的な遅れを助長している。例えば、作った作物を運ぶ手段が限られていること。紛争の原因に大きな経済格差がある。顧みられることのなかった地域だ。そういった地域が先住民族の暮らす地域だということは無関係じゃないと思う。

【コロンビア日記42】

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マグイは法的に認められた先住民族コミュニティー。
レスグアルド・マグイ(resguardo magui)という。

1994年に国に登記した。それまではリカウルテ市の中の区域の1つだった。
先住民族領域であるレスグアルドになると、地域内での習慣法による統治が認められる。刑務所のような施設を持つところもあり、罰則としての労役を貸すこともできる、またムチで打ったりというのもあるらしい。グアルディアス・インディヘナス(先住民族警備隊)という独自の警察を持つこともできる。これが地域内の治安維持にあたる。といっても専門職ではないので日本の消防団のようなイメージが近いと思う。

地域を取り仕切るのがカビルドという評議会。その長はゴベルナドールと呼ばれ、マグイではそれぞれ2年おきに選挙で選ばれる。

マグイでは、94年以降現在まで、毎月14日と28日に集まりが開かれている。
14日は地域の諸問題を調停する場で、28日はカビルドで決められたことや、国や県などからの通達のお知らせの場となっている。避難して外に出た人もちらほら来ている。この社会を理解する上で、重要な場所なんだろうと思う。

5月14日の集まりにお邪魔した。
この日の議題は、お金の貸し借りのこと(貸したお金が返ってこない)、最近黒人が数人出入りしているのを見かけたがいったい誰か?ということ、避難中の家から物が盗まれたということだった。

お金の貸し借りについては、当事者が皆の前で状況を説明し、意見のあるものが意見を言うという赤裸々なものだった。おおっぴろげにすることで禍根を残さないという狭い社会を維持していく知恵なのかもしれない。ただそれぞれの家々の間のおおっぴろげな部分と秘密な部分の境目は当然あるのだと思う。

この場で、お前は一体誰なんだということで自己紹介をした。
何のためにここにきて、いつまでいるのかと質問もとんだ。
できるだけ丁寧に説明し、質問に答え最後には全員からここにいてもいいという了承を得た。

まだよくは分からないが、こういうことの一つ一つを大事にする社会なんだろうなと思う。

【コロンビア日記41】地雷

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今年2月に起きた地雷の爆発の現場に来た。

道の真ん中に大きな穴が2つ空いていた。
軍の兵士1名が死亡、2名が負傷した。

この地域で紛争が激化したのは2000年代に入ってから。
それから現在にかけて、紛争が直接的な原因で死亡・行方不明になった住民が25人以上。僅か数百世帯の地域でのことだ。ゲリラ・軍の兵士の死者・負傷者はこの何倍もの数がある。近隣の地域も含めるとどれほどの犠牲者が出たのか。避難先ではゲリラシンパと疑われ、右派民兵・軍の脅迫が待っていた。そのことから、避難民として名乗り出ることもはばかられた。

頻発する戦闘の恐怖、他様々な理由から避難者が相次ぎ、世帯数は半分以下になった。

昨年12月の空爆以来、ゲリラはこの地から更に奥地へと追いつめられつつあるという。
今が、本当に久しぶりに訪れた穏やかな日々なのかもしれない。「今だけかもしれない」と言う人もいる。

コミュニティーの指導者ホセさんは、「将来のために、マグイがどう変わっていったのか記録に残したい」と話した。また、死者の名も記録しておきたいという。僕にできることがあるんじゃないか、力になりたいと思っている。

【コロンビア日記40】働くこと

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2011年に亡くなった男性が地雷を踏んだ場所を見つめるホセさん。
亡くなった男性はパストールさんという。朝5時、自分の農場へ向かう途中に地雷を踏んだ。

2011年12月、僕は彼の葬儀に立ち会っていた。
そこでパストールさんの友人が「あいつは働く事が好きな良い男だった」と話していたのが強く印象に残っている。

「働く事が好きな良い男」これがこの土地の美徳なんだろうなと思った。

【コロンビア日記39】ゲリラ兵士

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空爆の跡地には、焼けた女性用の下着があった。ゲリラの中には若い女性兵士も何人かいたという。彼女のものかもしれない。

この日、僕を案内してくれた地域に住む男性の息子も、この空爆の犠牲となった兵士の一人だった。もうすぐ23歳だったという。

息子がゲリラに入隊したのは今から7年程前。行動力に溢れ、頭のよかった16歳の青年は「世の中をよくしたい」という強い信念から自ら志願して入隊したと父親は話す。4人の子どもの中でただ1人の息子。その行動に父親は反対したが、彼の意志は固かった。

入隊すると息子は故郷を離れ、各地を転戦する生活にはいる。
父親との再会は、昨年11月、戦死するひと月ほど前の事だった。入隊以来、7年ぶりの再会に父は逞しくなった息子が誰か分からなかった。2度ほど、部隊長の計らいで家族で食事をとった。それが最後となった。

この部隊長の人格、政治思想に信頼を寄せる各地の住民も多かったという。

空爆のあったのは昨年12月2日(3日とも)午前1時ごろ。その場所に野営しだして4日目の事だった。ゲリラ兵士20数人全員が死亡した。

父親は空爆の知らせを聞き、夜が明ける6時ごろに現場に向かった。息子の身体を守るために。しかし、現場について間もなく軍のヘリが数機現れ、父親はそこから走って逃げた。

軍はゲリラの遺体と遺留品を回収していった。6か月がたつが、なお遺体は父親のもとに帰ってきていない。

「こうして死ぬことを彼は望んだんだ。おれは息子の人生を尊重したい。」
山仕事で鍛えられた逞しい身体。器用ではない、朴訥な話し方に父親の人柄が表れていた。亡くなった彼の息子も、この父親のように逞しかったのかもしれないと想像した。

【コロンビア日記38】

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先住民族アワのコミュニティー・マグイにて。
昨年12月に、ゲリラの野営地に軍の空爆があり、野営中のゲリラ兵士20数人が死亡した。

この場所は、近くに暮らすデリオさんという男性の農地。
デリオさんは以前エクアドルで避難生活を送っており、2009年に僕は彼とエクアドルで出会った。マグイからの避難民が多く集まる地域で、2週間ほどデリオさんの暮らす家に泊めてもらっていた。

デリオさんは2010年にコロンビアに戻り、マグイで家族と暮らしている。
自分の土地を持てず、生活の安定しないエクアドルでの生活を切り上げてのことだ。

空爆のあった農地から谷1つ挟んだところにデリオさんは暮らしている。
改めてデリオさんを訪ねようと思っている。

【コロンビア日記37】

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4月末からマグイというアワ民族のコミュニティーに滞在しました。2月にも来た所で、7月初めまでマグイの学校に泊めてもらいながら学校の手伝いをしつつ、地域を歩いていました。

写真は泊まってる学校の寮で先生と撮ったもの。

マグイは、車やバイクが走れるような道がなく、徒歩か馬で6時間くらいかかる山奥にあります。この地域に点々とエクアドル国境へとアワ民族の集落があります。国境まで徒歩で2日程。

前回来たときはまだネットがなかったけれど、4月に開通したそうです。

先生たち「こんな山の中で世界とつながるんだぞ」と言ってます。3年前まで電気すらなかったそうです。また、最近までゲリラによって電話やビデオ、カメラとなど通信機器の持ち込みが禁止されていたとも言います。

今の所学校にしかパソコンはないので誰もが使えるわけじゃないけど、すごい変化なんだと思います。

ですが結局、繋がったはずのネットは、激しい電圧の上下に耐えられず、僕が着いた3日後に壊れてしまいそのまま直らず、、これまでにも学校に届いた電化製品は長持ちせずに壊れてしまうのがおおかったそうです。停電も多いし、道具だけそろってもダメなんだなー

【コロンビア日記36】 モテ

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ナサ民族の郷土料理「モテ」
トウモロコシの煮込みです。
ここでも会話の中で「今日はモテ食ってねぇから力でねぇな」ていうのがあります。
もともとがトウモロコシ文化なんだろうなと思います。

これもイベントの時のものですが、先住民族の集まりに参加すると、どこでも来た人に無料で料理が振る舞われます。僕はこの大鍋で作った料理をわいわい言いながら食べるのがたまらなく好きです。

集まりに参加するときには、器とスプーンは必需品です。

【コロンビア日記35】羊毛

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羊の毛を紡いだ糸で、バックや着物を編みます。

【コロンビア日記34】 腸詰

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とあるイベントで来場者用に豚をつぶした。
肉と内臓は、ジャガイモ、熟す前のバナナと煮込みで。
血は香草、刻んだネギ、ニンジンと混ぜて腸詰に。
いやぁ。うまかった。

コロンビア日記33 エンパナーダ

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ギョーザみたいな形のエンパナーダと、コロンビアビールのポケル。

エンパナーダは、トウモロコシ粉の皮の中にひき肉とジャガイモ、刻んだネギ。これにチリソースをかけながら、アツアツを食べる。暑いとこだとビールにぴったり。

「中南米マガジン」

6月に発売された「中南米マガジンvol.26」に、コロンビア・カリ市の日系人協会について書かせていただいてます。

買っていただけたら嬉しいです。

http://chuunanbei-magazine.net/

【コロンビア日記31】祈り

僕が滞在していた集落は、ゲリラや軍の兵士が通過することはあったが地域的にあまり重要視されておらず、戦闘が起きることはなかったという。しかし、今は、軍が兵士が多く入ってきておりベースキャンプを作り出したことで緊張が高まっている。

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戦闘のあった翌夜、地域の人が集まり、山に祈りをささげた。

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「これを持っていなさい」と渡された、身を守るという薬草。
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