事件後、「バグア悪魔のカーブ(CurvaDiablo de Bagua)」と呼ばれるようになった現場は、マラニョン川と並行するように一直線に走る道路が、そこだけ小高い丘に沿ってS 字にカーブを描く。乾燥しきった丘の斜面には二メートルほどの細木が点々と茶色の地面を露わに立っている。二〇〇〇人から多いときで四〇〇〇人もの人々が、二ヶ月間にわたってここに寝泊りをしていた。事件後二ヶ月がたった八月初旬、丘の斜面には当時使っていたと思われるプラスチック製の皿やフォークが散乱していた。川沿いの茂みには警官隊によって発砲されたガス弾・銃弾が今も散らばり、それを拾う人達の姿があった。
現場となった場所はバグアから20 分ほどの所にある。マラニョン河に沿って直線に延びる幹線道路が、小高い丘を包むようにカーブを描く。CURBA DIABLO DE BAGUA(バグア悪魔のカーブ)と呼ばれるこの一帯に、2000 人から多い時4000 人もの人々が2 カ月にわたり寝起きしていた。数日前に建てられたという路肩の看板には、キリストの絵とともに、CURBA DE LA ESPERANZA(希望のカーブ)と書かれており、人々が寝起きをしていた丘の斜面には、昨年も目にした抗議活動をしていた人たちが使っていたという、プラスティック製の食器が、朽ちた姿で散在していた。