日記 7.29

  • Day:2011.07.29 21:45
  • Cat:日記
今日は一日バイト、さっき帰宅。 
天気もつかなぁと思ったら、日暮れごろから降り出してきた。

新潟が大変らしい。友人が住んでる街に避難勧告ってニュースがあり電話すると、そこは大丈夫みたいだった。
一安心。
でも、これからまた明日にかけて雨が降るとのこと。
何事もなければいい。

スポンサーサイト

日記 7.28

  • Day:2011.07.28 22:09
  • Cat:茨城
只今帰京。
親のすねかじってまいりました。
恥ずかしや。



今日の茨城新聞の一面は、「県、全頭検査へ」との見出し。

食肉牛の汚染問題を受け県内3か所で食肉処理される牛を対象に8月から検査を実施するとある。
安全性を確認するためにも必要なことだと思う。

しかし、農家の中からは以前「もしうちから何か出たら」と心配する声を聞いた。
当然の思いだと思う。
また、原発事故後にレタスを出荷できずに廃棄した知人を持つ農家の方は「一生懸命作ったものをただ捨てなきゃなんない思いったら、ほんとないんだから」と声を荒げた。

自主的に検査し、安全を確かめて販売するひともいる。

県のHPには、毎週のように農作物の検査結果が更新され、「不検出」「基準以下」の文字が出されている。

4か月が過ぎてなお、状況は混沌としている。






(以下、茨城新聞HPより転載)

日記 7.22 「聞く」ということ

  • Day:2011.07.22 20:05
  • Cat:日記
今日も4時から9時、移動して10時半から6時半でバイト終了。
春のような陽気に朝から張り切りってしまった。後半ばてる。
でも、今日は太陽が出るも気温が上がらず、すがすがしい一日だった。深呼吸して空気吸いだめ。

電車の中で呼んでいた「『死の医学』への序章」(柳田邦男)の中で、「医療において『聞く』という行為とは」とあった。

そこには、「病む者の心の苦しみや悩みを理解し、その癒しの道を探るための『聞く』行為であり、よりよきケアのための中心的な行為となる」、また「病む者の心の奥深くにある苦悩不安をどこまで共有し得るか」とある。医師の中には「聞く」ことの難しさに気づこうともしない人々が少なくないのだという。

その上で、著書に登場する医師が、心得としてあげる項目の中に、「患者の心を先取りしてはならない」、「患者の発言を待たなければならない」、「患者に対して優位に立とうとしてはならない」の3つがある。

著書の中で作者は、これらは作家、ジャーナリストにも当てはまると語る。

まさに僕自身、取材で話を聞きに行くとき、先入観を持っていないか、自分がイメージする答えを導こうとしていないか、本当に相手の立場に立って相手の言葉に耳を傾けているのか、改めて考えていかなければならないと思った。

著書の中では更に、「患者の言葉を聞くと言うことは、その内容を本当に理解し、共鳴し、その話の中に入っていくことでなければならない」とある。

自分がやらなければならないことは、今何が起きているのか、そして、その場に立つ人たちが何を思い日々を送っているのか、それを自分自身がまず知り、消化し、伝えるということ。

もっと謙虚にならなければと思う。

今日はちょっとつかれました。

7月30日 鎌倉大線香花火大会

7月30日、神奈川県は鎌倉由比ヶ浜で「大線香花火大会」があります。
http://730kamakurahanabi.wordpress.com/

今回の震災によって、鎌倉では夏の花火大会が中止されました。
これを受けて、地元鎌倉の人たちが「だったら自分たちで花火大会をやっちまおう!」とローカルな人と人とのつながりで生まれた花火大会だそうです。

コンセプトは「自分たちでやる」
誰かをあてにするのではなく、自分がいいと思えることは自分でやってしまおう。

基本的に線香花火は持参。後片づけも各自ということです。

詳しくはこちら↓
http://730kamakurahanabi.wordpress.com/
2011年7月30日(土) 20:00〜21:00(キッチリ終了)
鎌倉 由比ケ浜海岸にて 市民による大線香花火大会
各自、線香花火を用意して、海岸に集合。
鎌倉市内の僧侶有志による鎮魂読経に合わせて祈り、のち、線香花火。

きっと素敵な時間になることと思います。

コロンビア政府、内戦被害者に対する「被害者救済法」を制定 (世界日報社HPより)

コロンビア内戦に関するコロンビア政府の動きがありました。
全然情報を追えてなく、一月前の記事からですが。

記事の中にもあるように、大変大きな前進だと思います。
ただ、家や土地を奪われた人の数があまりにも膨大で、国外も含め大きく移動している中、どう把握し対処していくのか。また、どこまでその責任の範囲を認めていくのか、注目したいです。 

世界日報社 6/12の記事より転載 

___________________________________________________

コロンビア政府、内戦被害者に対する「被害者救済法」を制定
救済費用は1兆6千億円規模にも
 

【サンパウロ綾村悟】コロンビア政府は10日、半世紀近く続く内戦の犠牲者や土地を奪われた被害者に対して補償を行う「被害者救済法」を制定したと発表した。コロンビアのエル・ティエンポ紙などが報じた。

 同国の首都ボゴタで行われた同法案の署名には、コロンビアのサントス大統領に加えて国連の潘基文事務総長も参席した。

 コロンビアでは、極左ゲリラと政府軍、これに極右武装勢力を加えた三つどもえの内戦が半世紀近く続いており、被害者総数は数百万人以上になるとも言われている。

 被害者救済法は、犠牲者家族だけでなく、内戦の過程で家や土地を奪われた被害者に対して政府が責任を持って土地を返還することも定められており、想定される救済費用は少なくとも200億ドル(約1兆6千億円)に達する可能性がある。

 救済法の実行に関しては国連も支援を表明しているが、コロンビア政府自身が「現時点でコロンビア政府に補償能力はない」と言明しており、資金確保はこれからの課題。

 また、内戦で失われた個人所有の土地の多くは、いまだ極左ゲリラや極右武装勢力の支配下にあり、今回の法律制定がゲリラや武装勢力の更なる攻勢を招きかねないとの懸念も出ている。

 サントス大統領は、被害者救済法の署名後に「今日はコロンビアにとって歴史的な日になる」と言明した。同国政府の関係者は、救済法の遂行には少なくとも数十年はかかると認めているが、内戦の被害者救済という歴史的な一歩を踏み出したコロンビアの動きに国際社会も注目している。

2011/6/12 0:15

日記 7.21 コロンビア

昨夜は窓あけっぱなしで寝たら、夜なか寒くて目が覚めた。
押し入れにしまいこんだ毛布を引っ張り出す。



コロンビア南部カウカ県のトリビオで、警察施設を狙ったゲリラlas Farcによるテロが起き、市民にも犠牲者が出た。
トリビオを含むカウカ県北部は、先住民族ナサが多く暮らす地域。僕が長い期間世話になっていたハンバロというナサのコミュニティは、その隣にある。
警察施設を狙った攻撃は以前から繰り返されている。ハンバロへも小規模ながらおきていた。
しかし、このトリビオに対しては執拗なほど、大きな規模で繰り返されている。ハンバロの友人は、「なぜいつもトリビオなのかおれも聞きたい」と話す。

北部カウカの温暖な地域では、コカの栽培が盛んだ。現地の人々にとっては、コーヒーとともに、貴重な現金収入源となっている。麻薬取引で活動資金源を得るFarcにとって、重要な場所となっている。

しかし、トリビオに対して繰り返される執拗な攻撃はなぜなのか。他の武装組織とのパワーバランスなどもあるのかもしれない。ただ、いつも犠牲になるのは市民だ。

トリビオと境を接する集落に、僕にとって家族の様な友人たちが暮らしている。彼らも以前、幼い子供を戦闘の巻き添えで亡くしている。

3.11の震災のニュースはコロンビアでも大きく報道されていたようだ。震災後に、FACEBOOKでのやり取りが増えた。心配してくれる友人たちからメッセージが届き、チャットでやり取りをした。
幼い弟を紛争で亡くしたある友人は、本気で「おれは日本のために何をすればいいんだ?」と聞いてきた。初めて出会ったとき彼は14歳、今はもう19歳になる。僕は「日本にいる僕らのことを思ってくれるだけで、めちゃくちゃ勇気が出るよありがとう」と答えた。
彼の家族は、山村でコカとコーヒーを作り生活している。日本に来ることは、資金的にもとても簡単なことじゃない。でもそんなことに気を使ったわけじゃなく、日本のニュースが流れた時に、僕のことを思い出し心配してくれたことが嬉しく、それに勇気づけられた。

今までと立場が逆になって改めて感じさせられることが沢山あった。

別の友人は、「はやくハンバロに帰ってこい。お前の家族の分の部屋くらいなんとかなるぞ」と言ってくれた。

多くの日本人にとってコロンビアといったら危険な場所というイメージがあるだろう。実際、身近な所に暴力が存在している。しかし、どこもかしこも危ないわけではない。彼らは危険を認識し、それを遠ざけ、近づかない様に生きている。現地に滞在していた僕は、彼らの生活習慣の中で守られていたんだと強く感じる。

現に今この時も、そこで毎日の生活を送る人たちが沢山いる。ぼくらと同じように、他愛なく、何気ない日常を送っている。どんな場所でも彼らにとって、そこがかけがえのない故郷なんだ。

彼らから見たら、今の日本は日常とかけ離れた世界なんだろうなぁ。

今度コロンビアに行ったら、また違った思いで歩いて話を聞くことが出来るのかもしれないなぁ。

さて、今日も一日が始まりますな。






日記7.19

  • Day:2011.07.20 03:02
  • Cat:日記
変な時間から爆睡してしまった。

爽快感と罪悪感が、、

気合い入れてこう!

「コロンビアを知るための60章」(明石書店)

「コロンビアを知るための60章」が刊行されています。

コロンビアの専門家の方々によるタイトル通り、「コロンビアを知るため」の本。
この「~を知るための」シリーズはほかにも様々な国のバージョンが出ています。

これだけ広く深くコロンビアについて書かれた本はないのではないでしょうか。僕にとっては、まさによだれが出るような本です。

中に写真を2枚ほど使っていただきました。ありがとうございます。

コロンビアってこんなとこなんだって、読むときっとワクワクするんじゃないでしょうか!

日記 7.18

  • Day:2011.07.18 21:15
  • Cat:日記
帰京。
朝4時から9時までバイト。

我が家で作業
汗が吹き出します。夜になっても今日はあんま涼しくならないなぁ。

明日は台風かな。

日記 7.16 大子町 

  • Day:2011.07.18 21:04
  • Cat:茨城
7月16日、茨城県大子町の「大子町畜産農業協同組合」にて食肉用子牛の競りが開かれた。
2カ月おきに開かれている。

直前の7月8日から9日にかけて、福島県の一部地域から出荷された食肉牛から基準値を超えるセシウムが検出された。それを受けて開かれた今回の競りでは、開催前に「国・県からの、稲わらの調査依頼に対して、問題のない結果が出ています」とのアナウンスが流れた。

大子町では、家畜のえさとなる稲わらは、そのほとんどが町内の農家によるものだという。そのため、状態を把握しやすいそうだ。

しかし、この日の相場は例年に比べ平均で4万~6万円ほど低く取引された。
買い付けに来ていた業者は「5月の時点ではほとんど影響はなかった(値段)、今回は当然福島で肉にでたと言うのが大きい。」「全頭検査も含めて、とにかく消費者が安心できる体制づくりが必要だ」と話す。

この地域の畜産農家は、お茶の栽培と兼業しているところも多い。
ある農家の方は「今年はお茶が一回も出荷できなかった。その次は牛。やんなっちゃうよね。」とこぼす。

良い肉質を作るためにその飼料には気をつけて管理している。大きな手間と時間をかけて子牛を育てる。
震災後、まさしく事態に「翻弄」され続けている。その胸に抱えるのは怒りなのか落胆なのか僕には分からない。
それでも、来年の収穫に向けお茶畑の手入れをし、牛の世話を続ける。

町では今月、放射能の専門家を呼び町民に対して、今何が起きているのか、どう対策をしていけばいいのか説明かを開いた。会場では多くの質問が飛び交ったという。多くの人は現状を把握することすら困難なのではないか。次々に起こる事態に自分の生活をどう適応させていけばいいのだろうか。僕自身よくわからないことだらけだ。しかし、自然を相手にする人々はまさに事態の最前線に立たされている。

農家さんに声をかけると、ど素人の僕に丁寧にどう牛を育ててきたのか語り、カメラを向けると「(牛の)元気なとこ撮ってねぇ」「ありがとうねぇ」と優しく答えてくださる。

大子だけではない。沢山のことを抱えながらも当たり前の毎日に生きてきた人たちが置かれているこの状況に、大げさではない何か、寄り添わせてもらうことができれば。DSC_5147_convert_20110718210249.jpg
競りの開始を待つ畜産農家の家族

日記 7.15 平潟港 猫

  • Day:2011.07.18 20:17
  • Cat:茨城
DSC_4981_convert_20110718201438.jpg

日記 7.14 平潟の「塩屋」さん

  • Day:2011.07.14 18:52
  • Cat:茨城
DSC_1313_convert_20110718192742.jpg

DSC_1_convert_20110718193611.jpg
今日は朝日の昇る芋畑を見にちょっと早起き。

その後北上して北茨城は平潟(ひらかた)港へ。 4、5月によく通っていたときに、食堂を営む「塩屋」さんという干物屋さんでよくお昼を食べていた。ここの親父さんが作る干物がまた絶品なのだ。アンコウ、タイ、アジ、アイナメなどなど。ふっくらしていてほんとにおいしい。食堂では、ご飯味噌汁が250円に各干物が300円から400円というお手ごろ価格。食べ応えは抜群。

今日もお昼を頂きました。おなかいっぱい。

親父さん、お約束の宣伝、になるといいな~これで! 平潟の塩屋さんです。ぜひいってみましょう!
写真は後ほど。。

日記 7.13 日立市川尻

  • Day:2011.07.14 18:40
  • Cat:茨城
DSC_4838_convert_20110718162420.jpg
震災後の3月14日、東京から茨城にはじめて帰った。
11日から13日まで今思い返してもやたら長く感じる。常磐線が取手までしか通ってなく、実家のある勝田までの交通機関の情報がない。ネットをぐるぐる回っていたら、つくばエクスプレスでつくばまでいける。そこから水戸行きの臨時バスが出ているということが出ていた。

水と食糧を買い込んで帰省した。

水戸市に入ってからの風景が忘れられない。ひびの入った道路、落ちた瓦、崩れた壁、あいている店先に並ぶ人々、ガソリンスタンドまでの信じられないような車の列。

3日経ち、表向き日常に戻ったかのような東京と茨城がこんなに遠いところなのかとバスの窓から外を見つめた。


15日から自転車で海沿いを走った。北上するほどに津波の被害が大きくなる。

そのときに、日立市川尻港近くでであった男性に、13日会いに行った。

83歳になる漁師の彼は、修理のために丘に上げていた船を津波が襲った。
幸い船が流されることはなかったが、満タンのガソリンが流され、船体が損傷した。物置代わりにしていた海辺の家屋の脇に止められた船を修理していた。家屋は浸水し、中がめちゃくちゃになっていた。記録代わりに写真を撮ってくれと言われた。

その写真が、本に掲載された。お礼と本を届けたく彼を尋ねた。
修理された船は港に停泊され、今はバッテリーが届くのを待っているとのことだった。
親から受け継いだ田んぼや自宅を案内していただき別れた。

港に浮かぶ船を説明する姿が、とても生き生きとして見えた。

日記 7.12

  • Day:2011.07.13 01:54
  • Cat:茨城
DSC_4724_convert_20110718194407.jpg
鹿島市、北浦湖畔に広がるやわらかい稲。
DSC_4746_convert_20110718194919.jpg
行方市の広い空 
DSC_4796_convert_20110718194726.jpg
行方市霞ヶ浦

茨城県鹿行(ろっこう)地域をドライブ。
鹿行(ろっこう)とは、現在の鉾田、行方、鹿島、神栖、潮来の5市を指す。旧鹿島郡と行方郡という、霞ヶ浦と太平洋は鹿島灘に囲まれた地域だ。
僕もこの地域のことは正直詳しくなかった。今もそこまで分かってない。

だけど、那珂川を挟んだ県北の人から、「那珂川から南(鹿行のこと)は大きく農業やってんだ」って話をよく聞いていた。メロン日本一。ごぼう日本一。その他もろもろ。

まずは自分の目でよーく見ないとなんない。
ということでちょっと歩いてきた。


夜、ちょっと飲み会。お世話になっている方、初めましての方とあう。
11時過ぎ散会。久々にスペイン語を駆使した。ゲバラとお酒となんだっけ。
楽しかった。うん。

(一部誤字訂正 7/14)

さて、明日も早起きだ。寝ねば。



日記 7.12 大子町

  • Day:2011.07.13 01:38
  • Cat:茨城
DSC_4647_convert_20110718163401.jpg
五月にお茶が出荷停止の措置が取られた茨城県北部大子町を訪ねる。

大子には県内でも観光地が多く集まっている。これまでにも何度となく訪ねてはいたが、正直お茶のイメージは薄かった。

車で走る。町の中心を超え、栃木寄りに向かっていくと、山の斜面にお茶畑が広がってくる地域に入って行った。「お茶の里」都の看板がある。この地域が奥久慈茶の産地なのだ。今まで見落としていたのか、それにしても一面の茶畑。

黄緑色の新芽が生えている畑と、刈り取られ枝がむき出しの葉ない畑が見える。

聞くと、新芽が生えているのは、出荷停止措置が取られてすぐに、刈り取られ、その後に二番茶となる新芽が生えてきたもの。枝がむき出しの物は、遅れて刈り取られた木々だという。 このお茶の木々を「カブ」と呼んでいる。感じにすると「株」だろうか。

僕は、震災があって初めて、農業、漁業に携わる方々と接するようになったにわか者だ。
全く素人なのだけれど、この「カブ」のように、職業とともに、その土地に根付いた人々が使う言葉に不思議な魅力を感じている。

例えば、漁業関係者の中で「イソ」と言うと、どうやら競りが行われる市場を指すようだ。というより市場が岸辺にあるからだろう。「おじさんどこにいます?」って聞くと、「ああ、さっき磯に行ったよ」と返ってくる。

また別の土地では、土に混ぜ込むことを、「うねる」という。「あぁ、そりゃぁ、うねっちゃったなぁ」。作業を見ると、混ぜると言うより、まさに「うねっちゃう」というのがぴったりだ。

少々荒っぽくも話されるその言葉達に、すごくひかれている。

このお茶であるが、シーズンは5月~7月にかけて。今年は一度も収穫することなく終わってしまった。
これから、保障の手続きが始まると言うが、100のところ30出ればいいんじゃないかという見通しだそうだ。

「今年は最高の出来だったんだ。霜もなくて、雨もあって。だから悔しいよな。」「今まで、家では100何十年ってお茶やってっけど、こんなの初めて。霜にやられてもゼロってことはない。」

山間部の斜面を年月をかけて改良しながら広げていたそうだ。
兼業農家が多く、仕事を外に持つ働き盛りの人たちは、会社が休みの土日を農作業に充てる。
手続きの面倒さから、保障をあてにしない家もあると言う。稼ぎはほかにあることが大きい。

茶畑の助走をするおじいさんがいう。「ここ何年かで、大分畑が荒れてきたんだ。やらない(お茶を)家が増えた。でも、一年明けちゃうと、なかなか元に戻らない。今年のこれで、また荒れるかもしれない。2,3年後にまた来てみなよ。どうなってんのかな。」

原発は状況がはっきりと読み込めない。来年は収穫できるのか。漠然とした不安感が広がっている。
そしてその空気は、農村が抱える高齢化、過疎という問題に、追い打ちをかけるのだろうか。原発が収まったとしても、影響は今だけじゃない。金銭だけでは取り返しのつかないことが起きようとしているのかも知れない。






日記 7.10

  • Day:2011.07.10 16:27
  • Cat:日記
今日も4時~9時バイト。
パンクした自転車を押して家に帰る。暑すぎて頭がクラクラ。

これから茨城へ。

日記 7.9

  • Day:2011.07.10 16:21
  • Cat:日記
朝4時から9時バイト。
池袋東武デパート催事場でひらかれている「元気市」へ昼過ぎに出向く。
ここに出展している、茨城県行方市で農産物直売所「げんきの里」を経営する農家の方を訪ねた。

この「げんきの里」、色々な事情が重ねり震災後の4月29日にオープンした。現在は出荷制限が解除されているホウレンソウも当時は制限されており、出荷されずにどんどん廃棄した。他の作物も半値以下に下がるなど非常に厳しい状況にあったという。この時期のオープンに反対の声もあった。しかし「名前のとおり、元気出していかないとね」と、地域に元気を取り戻したいと言う思いがあったそうだ。

先月、その「げんきの里」を訪ねると、地元産の新鮮な野菜がずらりと並び、元気のよい店長さんの声が響いていた。改めてまた、お店を訪ねてみようと思う。


その後、催事場にお手伝いに来ていた「やさしい野菜」の島田さんと、赤坂TBS前で開かれている別の物産店へ。

そこには先月池袋エチカでのイベントに参加していた岩手と青森の方が出展していた。
茨城・大子市からも出展しているかたに偶然会い、話を聞く。大子では、ホウレンソウの出荷制限が解除されたと矢先に、次はお茶に制限がかかった。
観光客が少なく、待っているだけではだめだと言うことから、各地のイベントへ積極的に出かけているという。

大子には袋田の滝や温泉があり、僕もよく遊びに出掛けている。新緑や紅葉の時期はもう最高。名産の奥久慈の軍鶏は絶品だ。
茨城にはいいところ沢山あるんです。

この日は更に、「やさしい野菜」の茨城・鹿行地区の野菜を使っている浅草橋のイタリアレストランへ。

「やさしい野菜」の島田さんは、農家の人たちに、自分が作った野菜が心をこめて料理され、それを食べる人たちが喜んでいる。そんな様子を実際に農家の人たちに伝えたいと言う。

パスタやサラダに使われる鹿行の野菜を見に行くと、その日はレストラン主催のお見合いパーティーが。ひょんな流れで、僕らもパーティーに参加することに。

料理の写真を撮りつつ、パーティーに参加。残念ながらお相手は見付からなかったが、うん、楽しかった。野菜もたっぷり味わいました。

写真は後ほどアップします。

日記 7.8

  • Day:2011.07.08 21:53
  • Cat:日記
朝4時からバイト。9時までやって、移動飯、11時から8時終了。
今日はちょっと長丁場。あちかった。

合間に、ささっとJICAで写真展を見る。気合いが入る。

帰りに富士そばによってうどんを詰め込む。
桂枝雀さんの「時そば」(じゃなくて「時うどん」間違いです、、)
を見て以来(youtubeで。)うどんにはまっている。

明日は都内のイベントに参加してる茨城の農家さんに話を聞きに行く予定。
準備しようかな。

被災地 茨城県北茨城市平潟町

  • Day:2011.07.07 19:51
  • Cat:茨城
DSC_3127_convert_20110707194922.jpg
福島との県境、天然の美しい入り江を利用した漁港を持つ茨城県北茨城市平潟町では、3月11日の津波で2人が犠牲になった。

震災から2ヶ月後の5月22日早朝、津波に襲われた家々が立ち並ぶ海岸沿いを歩いていると、マラソンをする一人の女性に声をかけられた。

中年のこの女性は、町内で海産物の仲買の仕事をしているという。

「今この先で津波で亡くなった人の家に行ってきたんですよ。よぉく知ってる人でね、初めて手を合わせてきたの今。私はこのちょっと先に住んでんだけど、2ヶ月たってやっとここ(津波の襲った海岸)にこれたの。こんな近いのに怖くてずっとこれなかったの。でもやっと手を合わせられました。良かったです。」

「近くに住んでっから、また会いましょ。」

そう言って小走りに走って行った。

海面から顔を出した太陽が、ゆっくり空へと昇っていく。まだ少し肌寒い朝だった。

日記 7.2 出産祝い 新潟

  • Day:2011.07.07 18:43
  • Cat:日記
DSC_4343_convert_20110707182844.jpg

新潟に暮らす友人夫婦の出産祝いを兼ねて遊びに行ってきた。

気がついたらもう12年の付き合いになる。
あっという間に終わってしまった大学時代に、大学の外で出会った彼。

2008年の結婚式では、ぼろぼろに泣けてしまった。
今年の2月に女の子が生まれてパパになった。

震災のあと、ちょうど産後で奥さんが実家に帰っていてしばらく一人暮らしだった彼と、スカイプで連絡を取り合うようになる。ビールを飲みつつモニターを見ながら他愛もない話をする。しょっちゅう飲んでた昔を思いだして、なんだか新鮮だった。それ以来、ちょいちょいスカイプ飲みがブームに。

お陰で、何年振りかに会ったのに全く久しぶり感がなかった。

また近いうちに会いましょー

日記 7.7 七夕

  • Day:2011.07.07 18:23
  • Cat:日記
朝4時から9時、移動と合間にメシ食って10時半から5時でバイト終了。予定より早く終わった。なんとか雨は降らず、6時帰宅。
移動の電車の中で、何年か前に読んだ「『死の医学』への序章」(柳田邦男)を読み返す。
近所のスーパーでバナナが安かったので買って帰る。

今日は少し気温が低かった。窓と玄関を開けると気持ちいい風が抜ける。
じっとしてても汗が出てこない今日は、作りかけで止まってしまったホームページに、ひっさしぶりに手をつけてみようと思う。

あ、今日は七夕だ。やっぱり天気が良くない。

「震災復興マルシェ【茨城野菜】鹿行のやさしい野菜」が終了しました。

  • Day:2011.07.06 20:09
  • Cat:茨城
DSC_4300_convert_20110706195515.jpg

先月末の30日、池袋エチカでの「震災復興マルシェ【茨城野菜】鹿行のやさしい野菜」が終了しました。
最終日は仕事帰りに寄って、そのまま撤収のお手伝いまでさせてもらいました。

一ヶ月間、毎日会場に詰めながら、野菜の集荷に茨城を往復していた島田さん始め、皆さん、本当にお疲れさまでした。

鹿行(鉾田)のやさしい野菜は、今後もネットでの野菜販売を始め、イベント企画と続いていくとのことです。

これからも追いかけていきたいと思います。

日記

  • Day:2011.07.06 19:39
  • Cat:日記
9時半から4時半までバイト。
今日も日差しがきつかった。外の作業は頭がクラクラする。

ちょっと早く終わってそのまま帰宅。
今週末から1週間ちょっと、北茨城の漁港を中心に回る予定。
6月に訪ねるはずだった、北茨城の市場に出入りしてる仲買さんに電話。携帯を置いて出ているらしく、息子さんが出る。

路地を歩いていたら、ある家の中から氷をコップに落とす音が聞こえた。
子どものときに家で、自分で作ったかき氷にかけたカルピスの味を思い出した。

日記を書いていこうと思う。
続けよう。