コロンビア先住民族-5

5・つながり

コロンビアの伝統料理に、サンコウチョウというものがある。ユカ芋、トウモロコシ、プラタノ、フリホールなどの野菜をじっくり煮込み、香草で味付けしたスープだ。地域によって、そこに鶏肉や魚、内臓なども入る。日頃どこの地域でも食される一般的な料理だ。この料理からもわかることが、コロンビアという国が、先住民族文化のうえに成り立っているということだ。
 コロンビア国民の大半を占めるのが、メスティーソ(白人と主に先住民族との混血である人々)と呼ばれる人々である。これは都市部での印象だが、私の受けた限り、彼らにとってインディヘナ(先住民族)は自分たちとは関係のない別の世界に生きる人々と捉えているように感じられた。これは日本においてもいえると思うが、メディアが先住民族を取り上げるとき、民族衣装や風習といった見た目での特異さばかりが伝えられる。しかし、彼らにとってのルーツがそこにあるということは事実である。先住民族にとっての問題は決してそこだけの問題ではない。全てはつながっている。ニュースで農場での行動が取り上げられたとき、まるで活動する先住民族が暴徒であるかのように伝えられていた。何故そのような行動を起こさなければならないのかということがまるで伝えられていない。大切なことは、その背景を想像することではないのか。
 コミュニティーでの経験は、私にとってとても新鮮なものだった。彼らの持つ自然観や伝統、人間関係には本当に多くのことを考えさせられている。コロンビアでよく耳にした日本についてのイメージは、アメリカとの戦争に負け焼け野原となった国が、最先端の科学技術を作り上げ、世界有数の豊かさを手にし、戦争のない社会で生活を送っているという、まるで夢のような国としてのものだった。そんな時「でもね・・・」と、理想とは遠い事実を口にしなければならなくなる。頻繁に起こる家庭内での殺人、自己中心的な理由による通り魔事件、毎年年間三万人を超える自殺者、心を病んでゆく人たち- 耳にするたび心が沈みこんでゆくような出来事が繰り返されている。ますます濃くなっていく明暗は、簡単に説明することのできるものではないのだろう。自分の中でいつも「何故?」という言いようのない、どう処理したらいいのかわからない漠然とした気持ちが込み上げてくる。先住民族社会とであったのはそんなときだった。そこで触れた彼らの持つ自然観や伝統、人と人との関係は、私の心に安心感を与えてくれた。つながりの中にある安心感こそが、私が彼らに惹かれた一番の理由だった。

 日本から見て地球の真裏のコロンビアという国で、今そこで生活している先住民族が直面している問題は、私たちにとって遠い世界の出来事ではない。想像することで互いの間にある違いを乗り越え、人と人として結びつくことができるはずだ。
 種をまく事に込められた彼らの声が、多くの人の心に届くことを願う。


                                                   柴田大輔
 
 
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