日記2月3日 

  • Day:2016.02.03 20:06
  • Cat:日記
ただ今マイアミの空港。現地時間午前6時。午前5時半に到着。ロスから4時間半の飛行時間。3時間の時差。アメリカは広い。マイアミは暑い。飛行機を降りたとたんムワッとしたぬるい空気がまとわりついた。

あちこちでスペイン語が。ロスよりハッキリ聞こえる。

次はボゴタ行き。午後2時半出発、現地に夕方6時半到着予定。こことは時差なし。

メモ代わり。
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日記2月2日 ロサンゼルス空港で乗り継ぎ待ち

  • Day:2016.02.03 04:27
  • Cat:日記
2日の17時20分発で出国。
ただ今午前11時半。ロサンゼルスで乗り換え待ち。21時半までここで過ごす。
餞別でもらった菓子パンで昼飯。コーラの600mlペットかったら3ドル。
入国のシステムがまた変わってた。

さて、時間はあるのでやり残してしまった事をやってしまおう。コロンビアに着く前に。

出発の前の日

  • Day:2016.02.02 01:19
  • Cat:日記
明日(もう日付が変わってしまったから今日。。)は出発の日。
一年ぶりのコロンビア。今回は、3月23日という日程が出ているFARCと政府の和平合意に合わせての渡航。去年の10月に、半年以内に結論が出るという話が出ていて、いつどのタイミングで行くのが良いのか悩んだ。悩んだのだが、結局資金がたまらず、今のタイミングでしか行けなかったのだから、結果オーライ。そんな事はあまり言わない方が良いのかもしれない。

まずはボゴタに入るのだけれど、気分としては、今回の旅はエクアドルからの気持ちでいる。カリによったら早めにエクアドルいこう。
エクアドルでは、ここまで関わってきた難民の人たちにまず会いにいこうと思う。故郷を離れて10年〜15年。自分たちの意志と関係のない理由で土地を離れ、そして今、自分たちの意思の届かない所で戦争が終わる。「あの日の事は忘れない」。エクアドルへ渡った日の事をそれ以上語らない彼にとって、この戦争は何だったのか。

あ、ホセさんへと預かっているお金が33万円。重要な任務。ドルに両替して現地でペソに替える。そして、コミュニティーへ贈呈。なるべく厳かに渡したいところ。

これまでの人の縁を旅しようと思っている。急がしいそうなあの方々にも連絡済み。
ただ肝心のホセさんが何回かけても電話が繋がらない。しょうがない。

明日は17時の飛行機。家を昼くらいに出れば良いか。
それまでに、処理しきれてないもろもろを片付けねば。
借りて見てないDVDは果たして見れるのか。



先日、講義をさせていただいた阪南大学のホームページに、そのときの様子が記事になっています。
お招きいただきありがとうございました。

http://www.hannan-u.ac.jp/doctor/moriya/mrrf4300000261mq.html

日記2.13

  • Day:2015.02.14 06:59
  • Cat:日記
日記がようやく追いつく。
自分用に、忘れないために。

昨日からやや込み入ったやりとりが続く。

朝6時半に起きる。
メールの返信を然々。

朝の市場へ行ってみる。ぐるりと回って、みかんジュースを買って飲む、10C、大盛り。

宿に戻って荷物の片付け、などなど。宿の鍵がないことに気づく。どこを探してもない。トイレやろうかを探してもない。
10時過ぎチェックアウト。鍵が見つからなくて、鍵代を払う。60c。

マナグア行きのバスに乗る。マイクロバス。40c。

マナグアにつく。来る時とは別のターミナル。前の露天で肉を焼いているのを見る。大き目のトルティーヤにかなり大き目の炭火焼き豚肉、キャベツと人参の千切りをその上にのせて、辛いのをかける。やっぱりニカラグアのご飯はウマい。ハズレは今のところなし。飲み物を頼んで60c。

タクシーで宿へ、。70c。これは次は50cでいける距離。

途中、メトロコメルシオなる商業地区をとおる。
華やか。ここがマナグア随一の歓楽街かも。

宿に入る。

明日の約束を確認しよう電話するが、つながらず。
アイスを食う、12c。

しばらくして、メシを食いに行く。
ちょっと高いけど、ボリュームと種類の豊富さと味が抜群。
フルーツジュースをつけて110c。

明日までにやることが結構たまり、宿にこもる。
暑い。

あ、洗濯物の中から鍵が、、、  

日記2.09

  • Day:2015.02.14 06:40
  • Cat:日記
ニカラグア二日目。以下FBから転載、一部訂正、加筆。

10年と半年ぶりにニカラグアの首都にあるゴミ捨て場に行ってきました。
↓ これが2004年に撮った写真。
http://daisukepp.blog116.fc2.com/blog-entry-197.html
https://www.facebook.com/daisuke.shibata/media_set?set=a.10151283732416798.521995.779301797&type=3&pnref=story


ここにいる人たちは、ゴミ捨て場に隣接する場所に集落を作り、「ゴミ」として運ばれてくるものから再利用できる金属、プラスチック、瓶などなどを分別・回収し、毎日夕方来る業者に買い取らせて生活をする労働者たちでした。


今回行くと、状況は全く変わっていて、場内でこのような形で働く人はいませんでした。こういった形で働くことが禁止されたとのことでした。


ただ、昔いた人たちの多く(希望者)が、ここの入り口の管理や場内に来るゴミ収集車の誘導、その他の仕事を割り振られ、また、場内にあった集落は、政府の援助で近くに移され、住居が与えられたと聞きました。

と、いうこともあったのですが、嬉しかったのは、10年経って、まさか僕のことなど憶えてないだろうと思ったら、意外や、結構覚えてくれていてる人がいて、「おぉ、あの時一緒にメシくったよな!」と、当時、「ゴミ」として運ばれてきたピザを差し出してきた子どもが立派な大人になってそこにいました。


僕は当時、「あぁ これは試されてるな」と思い、腹を決めてそのピザと、同時に差し出されたあったかいペプシを飲んだことを今でも覚えてます。


僕は初め彼らを恐れていたのですが、それを食べ、飲んだ辺りから、何かの壁が取っ払われたのを感じた記憶があります。でも、今日の感じだと、単におすすめしてくれただけだったのかも。


それから一ヶ月そこへ毎日通ったものでした。色々なことを含めて、強い青春の思い出でもあります。


それと、今日僕が持っていった写真の中に女の子のものがあったのですが、入り口の若者に見せると、「おっ、それおれの嫁さん」と言うではないですか。彼も当時そこにいたそうです。今では立派に入り口の管理をしてました。

10年の時の流れとは、かくも大きなものかと思ったところです。
恐ろしいです。

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