FC2ブログ

和平合意から2年、紛争下に生きてきた先住民族の現在 (『SONRISA』166号掲載)

和平合意から2年、紛争下に生きてきた先住民族の現在
(『SONRISA』166号 掲載 ※一部表現を改めています)

南米コロンビアで、反政府ゲリラFARCと政府間の和平合意が結ばれてから2年、FARCの武装解除完了から1年がたつ。現在、かつての紛争地帯では情勢が不安定化する地域が多数ある。

各地に、総数1200人以上の元FARC構成員が和平プロセスから離脱し、新組織を結成、武装活動を再開させる地域がある。また、FARCが抜けた空白地帯では、複数の麻薬組織が活動を活発化させ「和平」の先行きに不安が広がっている。

同国南西部、先住民族アワの人々が暮らす、「マグイ」という地域では、かつてFARC部隊の一つ「マリスカル・スクレ機動部隊」の拠点が置かれ、政府軍の激しい攻撃にさらされてきた。

私がマグイを初めて訪ねたのは2013年2月。以降、現在にかけて毎年訪問してきた。今年1月と、6月から7月にかけて同地を訪問すると、ここでも情勢が不安定化していた。

25_20181204120348a59.jpg
かつて地雷が仕掛けられていた場所


1. FARC活動地だったマグイの歴史

今年1月、マグイを10カ月ぶりに訪ねた。同行してくれたのは、以前から交流を持つ地域リーダーのホセさんだ。彼は現在63歳。ここで育った女性との結婚をきっかけにマグイに移住し40年以上たつ。思慮深さと溢れるユーモアが人々を引きつけている。

山道を歩く彼の足取りは軽く、年齢を感じさせな。マグイへは、私の足で一時間半ほどかかる急な坂道を登らなければならない。そこをホセさんは40分ほどで歩いてしまう。汗だくになりながら坂道を登りきると、眼下の谷から吹き上がる風が気持ちよく熱を冷ましてくれる。

私が初めてマグイを訪れたのは2013年2月。この時もホセさんの後をついて山道を歩いた。当時はまだFARC部隊のベースキャンプがあり、一帯がFARCの影響下にあった。

山道の土手には、不自然に掘られた小さな穴が数十メートルおきにあった。ホセさんはこの穴について「政府軍の侵入を防ぐため、ここにFARCが爆弾を仕掛けるんだ。政府軍が近づくと夜間の外出が禁止され、午後6時から午前6時まで爆弾が仕掛けられる」と説明した。

爆弾から伸びるケーブルを、道を横切るように這わせ、そこに足を引っ掛けると爆発する仕組みだった。朝、撤去される前の爆弾で犠牲になる住民が相次いだ。

マグイではこの爆弾や地雷の他に、ゲリラ、政府軍、双方から、互いの敵との関係を疑われて迫害される住民が相次いだ。組織の情報を密告したと疑われ誘拐された住民も数多い。その多くが後に殺害されたとされているが、遺体は見つかっていない。

高まる緊張、日常化する戦闘から2006年には、マグイを構成する5つの集落に暮らす約300家族の9割が避難民として山を下りた。
0003.jpg 
地域リーダーの、ホセ・チンガルさん


2.平和を実感した1月のマグイ訪問

和平合意とFARC武装解除をへた今年1月の訪問時には、地域からゲリラも政府軍もいなくなり、マグイの日常から銃が消えていた。地域に初めて本格的にゲリラが入ったのは1990年代半ばだという。ELN(民族解放軍)だった。銃のない日常は、それ以来、実に20数年ぶりとなる。今では山に戻る人々も、中高年を中心に増加している。山に「平和」を実感できる雰囲気が漂っていた。

この時、マグイで大きなお祭りがあった。祭りのミサを取り仕切ったのが、1990年代後半から10年間この地域に赴任していたイバン神父だ。彼は現在、他の土地の教会に移っているが、ホセさんの誘いに応じてこの日の祭りに参加した。

20180110153534_2018120412231062b.jpg  
ホセさん(左)とマグイを訪れたイバン神父(左)

彼はホセさんと二人三脚で地域発展に尽力した人物だ。住民の先頭に立ち政府に対して抗議行動を起こすなど、活発な住民運動を繰り返した。それが政府の反発を買った。当地がゲリラの活動地域と重なっていたことから、住民をゲリラ協力者とみなす政府軍、政府軍と共闘関係にあった民兵組織から「敵」とされたのだ。神父はその後、民兵に拉致され殺害されかけたことがある。

この日、イバン神父はミサの中で、戦争でなくなったマグイの住民の名を読み上げこう言った。

「もう暴力はたくさんだ。戦争はたくさんだ。もう二度と、誰にも私たちの生活を犯させてはいけない」

ミサに集まった住民のほぼ全てが避難民となった経験と、犠牲となった親族を持っていた。政府軍とゲリラという外部の人間の争いに翻弄された過去を振り返り、沈黙の中で神父の言葉に耳を傾けた。ミサの後は、朝までお祭りとなった。飲みきれないほどの酒を飲み、音楽に合わせて踊った。

私はこの日まで何度もマグイを訪ねていたが、それまで地域を一人で歩くことはできなかった。なぜなら、山を歩いていると、政府軍やゲリラ兵士に出会うことがある。その時、双方にとって私自身が「敵」ではないということを証明しなければならない。信用を得るには住民の助けが不可欠だった。私の不用意な行動のせいで疑いを持たれることがあると、住民にとって危険な自体を招いてしまうのだ。

行動の不自由さに加え、マグイでは頻繁に銃声や爆弾の破裂音を聞いていた。何か音が響くたびにドキッとする。だんだん慣れてきたように思っていたが、日本に戻り振り返ると、無意識に緊張を強いられていたことにいつも気がついた。

地域に軍事組織がいなくなったことで、どこへでも自由に歩くことができる。どんな音が鳴っても命に関わることがない。それがこんなに心を軽くし、安心できるのものなのか。これが「平和」なのだと私は思った。

3. 6月の再訪時に感じた治安の悪化

0023.jpg 
FARCとの紛争時、政府軍が地域を行き来していた(2014年撮影)


今年6月にマグイを訪ねると状況は一変していた。一旦、非軍事化された地域に再び政府軍が展開し始めていたのだ。5月にはマグイにもキャンプを張っていたと聞いた。理由は、マグイから直線で20kmほどの隣国エクアドルとの国境付近で活動する反政府ゲリラELNと、FARCが抜けた空白地帯で勢力を伸ばす麻薬組織に対する警戒だという。

ホセさんは「しようがない。でも、政府軍は以前とは変わった。FARCがいなくなったことで、私たちに銃を向けることはもうしない(以前は住民とFARC を同一視した)。私たちも彼らを信用する」と、現状を納得しようとしていた。

変化はそれだけではなかった。マグイの治安が悪化したのだ。マグイでは、これまで有り得なかった外部の人間による強盗事件が起きた。覆面で銃を持つ集団が民家に押し入り金品を奪っていったのだという。さらに、自治組織に対し「税金」の支払いを要求する脅迫状が届いた。差出人は元FARC構成員だといわれたが、実態はわかっていない。またマグイに隣接するアワ民族居住地区ベガスでも、5月に同様の脅迫状が届き、突き返した商店主が殺害された。
09.jpg 



かつてFARCは、政府軍、民兵組織、土地や資源を奪おうとする企業などの外部者から農村を守るという「大義」のもと、個人店主を含め、企業や行政機関など固定収入のある個人や団体から「税金」として収入規模に応じた金額を徴収していた。いわゆる「みかじめ料」であり、住民はこれを「Vacuna(予防接種)」と呼んでいた。それが、FARCがいなくなると、同じ方法で金を巻き上げる違法グループがのさばり出した。

一連の事件は、大きな組織によるものではなく数人から数十人規模のグループが複数存在しているのだといわれている。そこには、以前FARCに関わっていた人物の関与もあると聞いた。FARCという大きな組織が存在していたときは、まがいなりにも一定の秩序が地域を治めていたが、そのタガが外れ治安が乱れ始めた。

ゲリラ活動地は、治安機関など政府機関が不在の地域が多かった。政府が関心を持たない土地だったという見方もある。そこに入ってきたのが反政府ゲリラだった。特にFARCは、前述したように外部の人間や組織の自由な出入りを阻害してきた。また、地域の内側に対しても、住民に対し盗みや殺人など禁止事項を定め、罰則を設けた。それにより政府不在の地域に一定の秩序をもたらしていた面がある。住民がFARCを指し「Ley(法)」と呼ぶことがあるのはこのためだ。

和平後、それまで秩序のもととなっていたFARCが消滅したものの、「政府不在」という状況は変わらない。武器を伴う急激な治安悪化に対して、住民の自治能力だけでは対処できなくなっている。
4. 治安悪化の背景

図1
コカ畑と収穫する人々

なぜ、武装組織が活動し続けているのか。その背景に、麻薬の原料としてのコカ栽培がある。国連によると、世界最大のコカイン生産国であるコロンビアでは、政府の摘発などでコカ栽培面積が2013年には4.8ヘクタールまで減少した。しかし、その後栽培面積は増加に転じ、2017年には17.1万ヘクタールへと増えている。マグイが位置するナリーニョ県は、国全体の27パーセントのコカ栽培地が集中し、特に山岳地帯や太平洋沿岸部など、開発が遅れる産業のない地域で広く普及している。

FARCはこれまでコカの流通に対して税金をかけるなどして資金を得ていた。今、活動を活発化させる大小の犯罪組織は、FARC消滅によって空白化した流通網やコカ栽培地を奪い合っているといわれる。
5. 太平洋岸地域の現状

20180621081602.jpg
トゥマコで起きる抗争の中で父親を亡くした女性

マグイから150kmほどの距離にある太平洋岸にトゥマコ市がある。ここはナリーニョ県の中でもさらにコカ栽培が集中し、国外への麻薬の密輸港となっている。そのため、現在、少なくとも6つ以上の犯罪組織が支配圏を巡って抗争を繰り返している。その中には元FARC構成員による組織もある。

元FARC構成員による組織は2017年の武装解除に応じなかった人々によるものと、武装解除には応じたが、その後再武装した組織がある。この背景には、地域にFARCと敵対する麻薬組織が武装活動を継続するなかで、彼らが武器を置くことは、本人だけでなく家族や仲間が危険にさらされる。それを防ぐためであり、また同時に、活動資金となる麻薬に関する取引ルートがあったことも大きい。

紛争が続く地域は、未開発地域と重なる。この太平洋岸地域は失業率が7割を超えている。経済的な問題が、武装組織と住民を近付けてきた。コカ栽培についても地域に産業がないため、ほぼ唯一の換金作物として普及し拡大してきた。治安回復には、農村が置かれて続けてきた社会環境の総合的な対策がなくてはならない。
6. マグイの課題

2_20181204120345d21.jpg
住民会議に参加するホセさん。治安について話し合う



ホセさんに現状について尋ねると、力を込めてこう答えた。

「自分たちは、もうこの土地から離れるわけにはいかない。私は政府を信用する。問題はあるが、FARCがいなくなったことで以前のように戦争の恐怖の中で暮らすことはなくなった。アワ民族同士で力を合わせ、外部の友人たちの協力を得ながら、一つの大きな家族としてこれからも、この土地で生きていかなければなたない」

ただ、今後の問題の一つとして、著しくなる世代間の価値観の違いがある。長い紛争によって避難民化した際に、大多数の住民が町に投げ出された。近年はマグイに戻る人が増えつつあるが、籍はマグイに置きつつも、実際の生活は山間部のマグイではなく、町に拠点を置く住民が多数見られる。特に若い世代では町での生活が長くなり、そこで仕事を持ち、子どもを学校にいかせている。そこでは、衣食住全てが現金で賄われている。自給自足的な山での暮らしとは、あまりに生活が違っている。彼らは山には、残した農地での播種や収穫など仕事のためだけで、もう暮らしのための場所ではなくなってしまっているのだ。以前のように、誰もが同じような生活をし、同じ問題を共有しながら将来へ向けた行動をすることが難しくなっている。

市街地に暮らす人々も、山間部に暮らす人々も、治安や経済など共通の問題に直面している。しかし、紛争がきっかけとなり結果的に多様化した人々の生活環境と価値観の変化によって、描く将来像に違いが生まれはじめた。新たに生まれた、より複雑ま問題に向き合わなければならなくなっている。

3_20181204120347138.jpg
アワ民族の家族
スポンサーサイト

<記事掲載>「また人が殺された」――コロンビア貧困地区、若者たちの絶望と希望 (Yahooニュース10/29)

safe_image.jpg 

yahoo ニュースに寄稿しました

「和平」からこぼれ落ちる、ある地域に生きる若者たちを追いました。

僕は現地で、「和平」を言葉だけにしないために命を削り活動するたくさんの人たちに出会いました。そうした人たちとの出会いに、突き動かされてきました。

今、世界のどこかで起きている問題は、決してその地域だけのことではないと思います。

目に見えるもの、見えないもの、あらゆる形で、今過ごしている日々の生活は世界のあらゆる場所と繋がっています。その大きな社会の中に、僕の日本での生活もあります。

僕は現地に行き、彼らと出会うことができました。

僕の隣で生きる人たちのことを、少しでも多くの方々に知っていただきたいと思っています。

是非、ご覧ください。


「また人が殺された」――コロンビア貧困地区、若者たちの絶望と希望 (Yahooニュース10/29)

NHKBS1「 国際報道2018」 に出演しました

NHKBS1「 国際報道2018」 にて、コロンビアでの取材報告をさせていただきました。

和平合意から2年、FARCの武装解除から1年がたったコロンビアで、「和平」からこぼれ落ちる地域の話です。

放送内容のダイジェスト版がサイトにアップされました。
どうぞご覧ください。

https://www.nhk.or.jp/kokusaihoudou/archive/2018/09/0905.html

【写真展のご案内】「Voces de Nuestra Tierra ~故郷の声 コロンビア先住民族」

【写真展のご案内】
「Voces de Nuestra Tierra ~故郷の声 コロンビア先住民族」

期間:8/30 (火) ~9/5 (月)  10:30~18:30(最終日は15:00まで)
入場無料 会期中無休
場所:新宿ニコンサロン 〒163-1528 東京都新宿区西新宿1-6-1 新宿エルタワー28階 


期間:11/10(木)〜11/16(水) 10:30~18:30(最終日は15:00まで)
入場無料 会期中無休
場所:大阪ニコンサロン 〒530-0001 大阪市北区梅田2-2-2 ヒルトンプラザウエスト・オフィスタワー13階


8月から9月と、11月に、写真展をさせていただくこととなりました。期間中は毎日会場にいるつもりでいます。
お時間ございましたら、どうぞお立ち寄りください。
宜しくお願い致します。

0001のコピー2

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
コロンビアに通い大分経ちます。日常にない刺激や、好奇心を満たすことが最初の動機でした。沢山の場所と人々に出会いました。20代後半からの僕の生活は、この人と場所に再会することが中心でした。
僕にとっての日常は日本にあります。日々の生活の中でふと思い出します。雨にぬかるむ山道の匂い、晴天の日の風に揺れる木々の葉音、路地に漏れる子の泣き声、まとわりつく湿気、心触れ合わせた人たちの体温—。そんな時、叫び出したいような胸の高鳴りを覚えます。そして、「また会いに行きたい」と思います。
コロンビアは52年に及ぶ内戦の中にあります。極端な社会格差是正を求める反政府ゲリラと政府軍の争いは都市から遠く離れた地で続きました。僕が出会った人々も、その中で暮らしてきました。鶏の鳴き声、服を手洗う水音、コーヒーを片手に交わす人々の会話、日常の音に混じり、時折、銃声、爆発音が山に響きます。
忘れられない一つの風景があります。山奥の集落で学校に居候していたある日の午後。洗濯物を干し終え、授業のない無人の教室で僕は一人でまどろんでいました。山から木を切り出すチェーンソーの音がうっすら聞こえていました。その時、大きな爆発音が山を揺らし、山一つ向こうの谷から煙が立ち昇ります。一呼吸おいて、衝撃波が、うねりとなって森の木々を揺らし近づいてきます。恐怖を感じる前に僕の膝は震えていました。
我に返ると、鳥のさえずりと風の音が耳に入ってきました。そして、チェーンソーの音が、何事もなかったように、山に木霊していました。日常の音です。外から持ち込まれた暴力にも侵されない日常でした。人々の強い意志を感じました。
日々の生活に派手なことはありません。淡々と繰り返される日常こそが、何より大切な守るべきものなのだと僕は感じました。
長すぎた、間延びした内戦が終わりを迎えようとしています。今も繰り返す、外からは見えない日々の暮らしを記録しました。
遠い場所にある、僕と変わらない人々の姿を見ていただけたら嬉しく思います。

2月4日 歴史的記憶の家

夕べは寝落ちしてました。
気がついたら、布団をかぶらずに明け方4時。いくら昼間暖かいとはいえ、そこは標高2800mのボゴタ。冷えました。
二度寝して7時に目が覚めた。時差ぼけは抜けたようです。

昼間、もろもろ日本とやり取り。冷や汗。
コロンビアの人で連絡がつかなかった人とやっと繋がった。「何だお前、くる前に連絡しろよ」って、連絡してたのにいつも電波入ってなかったじゃん。でも来週には訪ねられそう。気分があがる。

午後4時、雨が降る。

小降りなので歩いて出発。某日本食やで密会。
久々の人に色々はなしを聞こうとしたが、店主の話を聞く会に。織り込み済みです。
満腹定食。持参した焼酎で満足。同席したコロンビアの若い人も交えておしゃべり。

帰り道、各地で作られている、紛争の歴史を記録した『歴史的記憶の家』の話になる。
中には行政主導のいかにもな箱ものもあるという話。一方で多くは犠牲者遺族が中心となり造られたものだ。僕が訪ねた所はそうだった。壁一面に持ち寄られた亡くなった人たちの写真が貼られている場所、犠牲者一人一人の名前が書いたノートが用意され、訪れた人、親族がそこへメッセージを書いていくもの、展示施設で家族に犠牲者を持つ女性が助け合い編み物を教え合うものー。  それぞれに色がある。

地方に行くと、あまりにも沢山の人が死んでいったことを知る。激しい時期をくぐり抜けた所(農村が多い)では、親族の誰かしらに犠牲者がいたり、その暴力に関わっていたりする。僕はその人たちが、身近すぎた(身近すぎる)死とどう折り合いを付けて今を生きているのか、どうしても分からなかった。自分がそこに身を置き長い時間をともに過ごしても、距離が近づけば近づくほど分からなくなる。

自分と関係のない所で始まった戦争が、自分の意志の及ばない所で終わろうとしている。
皆、どう思っているんだろう。

10658930_10152693365901798_7229300231504616531_o.jpg

CASA DE MEMORIA HISTORICA DE TUMACO (2013年に開館したトゥマコ市の歴史的記憶の家。遺族に寄って持ち寄られた犠牲者の写真が壁面に並ぶ。)2013年撮影