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いくおさんとの夏

  • Day:2023.03.27 00:44
  • Cat:茨城
いくおさんとの夏




2020年の夏、新型コロナウィルスの話題で世間が持ちきりだったころ、僕は茨城県北部の山にいた。関東平野の北端から立ち上がるその山からは、「秋晴れの朝は、富士山が見える」というほど広い平野を見渡すことができる。夜になると、人気のない山は漆黒の闇につつまれる。その闇の先には、地平線上にきらめく街の明かりが見える。

この夏、僕はこの山のある集落で、「いくおさん」という88歳の男性と過ごしていた。いくおさんは5年前に妻が先立ち、集落にある広々とした自宅に一人で暮らしている。子どもたちはそれぞれ家庭を持ち、県内各地で生活している。僕はここから90キロほど離れた県内の自宅より6月から通いはじめ、8月は月の半分ほどをいくおさんの自宅に泊めてもらっていた。

きっかけは



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コロンビア日記

5月30日(月)

選挙の翌日は祝日。早起きするつもりもなく、9時に布団から出た。覚悟していた二日酔いにはなっていなかった。
朝ごはんを出してもらった。その後、ノルベイが十字架のある場所へ誘ってくれたので、彼の息子と3人で歩いた。

途中、約10年ぶりにカンポアレグレを通ると、住民の皆さんが、文化施設(Casa de Cultura)を作るための共同作業(ここでは「ミンガ」と呼ばれる)をしていた。近くのCasa de la Juntaでは、みんなのお昼をしているところで、会いたかったイサベラさんとも会うことができた。ひとしきり話をして、お昼を呼ばれることに。ミンガの昼食は、大鍋でつくった煮込みを皆で食べるのが楽しみの一つ。洗面器のような大きな器に並々と分けられ、腹を満たして午後の作業に臨みます。

十字架まで歩き、戻ってくる。途中、ノルベイが合わせたいと言ってくれた女性を訪ねたが、こうれいから記憶が曖昧であり、カンポアレグレにまた戻った。ご飯を食べているところで、ノルベイが、ご飯を食べきれない息子に、こういう時の礼儀を教えていた。「すいません、袋をください」と自分で厨房に取りに行かせ、お持ち帰りをする。いい場面だった。日本語で名前を書いたり、踊ったり、その笑い声の後ろで、上空を飛ぶヘリの音が響きく。兵士を山に輸送するためのもので、この地域では良くある日常の一コマ。

この前週は、山を一つ挟んだカルドノで、警察署が武装組織の攻撃を受けたという。その前週は、ハンバロ内のエスペランサの周囲で、山に展開するゲリラの野営地に対して、終日、軍の空爆が続いた。銃撃もその前後で起きていた。

なぜ同じ地域が何十年も戦争に直面させられ続けていて、他の地域が抱えていない問題を、同じ地域が何十年も抱えさせられ続けているのか。今回の選挙で左派の候補が勝った地域に、こうした地域が集中していることの意味はなにか。都市部と農村部が、それぞれに抱える問題の違いは、あまりに大きい。

ただ、こうした農村で、治安の話題が1日の会話の大部分であるわけではないのは、もう何十年も慢性化した「戦争」が、日常のすぐ隣で繰り返されてきたからでもあり、その他に、日々のこと、将来のためにやるべきことが当然多々あるということが、こうした地域を理解する上でとても大切なことだと感じている。

小雨が降ってきた。ノルベイは家に帰り、自分はフェルナンドのところに顔を出しに行く。不在だったが、となりの携帯修理屋の旦那と雑談。プエブロヌエボの出身で、今は仮に住んでいるという、カルドノとハンバロに店を持つ。明日の朝のバスでカルドノに行くらしい。フェルナンドはまだ不在なので、ラジオ局に。マリアが番組を進行していた。すっかりプロだ。男性と雑談。局にいた3人の職員と写真撮影。歩いていると、ちょうどフェルナンドが帰ってきた。スンビコにフィン科があり、乳牛を飼っているという。今日は朝からその世話に行っていた。雑貨などを渡して、コーヒーを呼ばれて退散。また会う日まで。

サンタロサに戻ると、サッカー場の草刈り中。手伝う。暗くなる頃に終了。
ノルベイ一家の写真を撮る。夕飯、揚げ肉とご飯を呼ばれる。食後にフェリペの宿題を手伝う。
夜9時、就寝。



今日は1日バス移動をし、国境まできました。明日から、隣のエクアドルに行き、15年の付き合いになるコロンビアから渡った人たちを訪ねる予定です。こちらも久々の訪問で、少し緊張します。

コロンビア日記

5月29日(日)

今日は大統領選挙の日。7時ごろに起きて部屋の片付け。
ソニアが朝ごはんを出してくれた。「ノルベイは休んでるの?」と聞くと、教師は選挙対応で6時に家を出たという。
急いでご飯食べて、挨拶回りの1日をスタート。まずはファビアン。実家の前に行くと彼にそっくりの女の子。娘か。お母さんに挨拶。市役所職員のファビアンも選挙対応で投票所になってる小学校にいるとのこと。

公園を超えて、フェルナンドの家に。自宅にいた。ふっくらしたが、変わらずだった。性格がだいぶ丸くなっていた。家が新しくなっていた。3階建。2階の台所で鶏肉のカルドを奥さんのフロールが出してくれた。コーヒーと。フロールも変わらず。日本の人っぽい顔立ちが印象的だった。子供は中学生の長女の下に、妹と弟。妹は事情があって、親戚の家でそだてているという。とうもろこしのマサモラが美味しいというと、持っていけと、とうもろこしを二袋も貰ってしまった。フェルナンドは投票に行くというが、俺がこれから他の人にも挨拶に行かないといけないというと、時間を惜しんで話に付き合ってくれた。家族の写真を撮りつつ、屋上で二人で自撮り。1時間ちょっとお邪魔して、退散。

向かいの、ホセ・ミゲルの家に、彼の仲間が集まっていた。その輪に入る。ホセミゲルはいまはハンバロには住んでいないが、選挙で投票のために戻ってきた。家には息子たちが住んでいた。選挙で帰省してる人が多く、再会できてラッキーだった。かれの奥さんには、アヒの話をもちだされ、笑いがおきる。もう16年も前の話だけどイジられて嬉しい。

次にサミルの家にいく。サミルも教師のため選挙対応で不在。長男のダミルが大きくなっていた。前はお腹にいた次男もいた。サミルの両親、兄二人、姉一人らが集まってくれた。昼食をご馳走になる。ご飯と卵焼きと揚げプラタノ。ひとしきり話して、家族写真をとってお暇。

近所のドン・シルビオ一族とも柔らかく話ができた。昔はちょっと怖かったが、時間が経ったからだろうか。家族写真を撮ってお暇。

サミルの奥さんの実家へ。家を思い出しながら歩いていると、マルコスの父親が。挨拶。その数件先に、お母さんがいた。変わらず、いいお母さん。とても思い出深い人。娘と、その子供とにわさきで話していた。近所に来ていたサーカスの座長もいた。かぜひいているというと、それに効くお茶をだしてくれた。ひとしきり話して写真を撮ってお暇。サミルも今度、ここに家を建てるのだという。

元カルロスの家を目指すと、フロリルバさん一家と遭遇。彼女らは今はハンバロには住んでいないというが、選挙で戻ってきていた。サンコーチョーをご馳走になる。ちょっと派手な感じになっていた。元気いっぱいだった。集合写真を撮って、選挙会場の学校にむかう。

ファビアンの姉、スリーとあう。ちょっと白髪が増えたが、変わらずだった。ファビアンと再会。みんなに頼られる中心人物になっていた。でも、変わらなさが嬉しかった。ちょっと緊張しつつだったが、hija unicaをもってきたというと喜んでくれた。選挙の日だけあって、投票所の学校にそのままいると、合おうとしていた人たちと続々と再会を果たすことに。楽をしてしまったようでなんだか申し訳なかったが、実に楽しい時間であった。選挙についても、うちがわからよく見ることができた。

結局、投票終了とその後の集計終了までそこにいることに。
その後、ファビアンの自宅に招かれた。お連れ合いのお母さんと同居。元はスリーの自宅だったとのこと。
4番目の子供がお腹にいるとも。ご飯をよばれ、テレビで選挙結果を見る。あっという間に結果が出る。やはり、左派は難しい。

7時半を回り、そろそろということで家を出る。公園でノルベイと会う。
ビールでも飲もうと、雑貨屋に。そこで彼の古い友人と再会。現在、パルミラで警察幹部をしているとのこと。
警察関係の仕事につく人は多いが、ゲリラにちょっかいを出されるため、地元には帰りづらくなるという。そのまま家族と転居する人も多いとも。

この日はそのまま、ソニアらも集まり、午前2時までビールとロンを飲みまくった。
寒さに喉がガラガラになった。翌日は5時のバスの予定だったが「もう無理だろう」と、出発を見送ることにした。
充実の1日だった。

コロンビア日記

5月28日

朝7時ごろに起きる。
風邪が悪化していた。咳が出る上、痰がひどい。

荷物を最小限にして、預ける算段。宿の主人に相談すると、むき出しのままで受付下に置くという。
そう言ったものの、不安を感じた主人は、これでもいいかと確認する。よくないので、預けることを断念。
ターミナルの有料預けを用いることにした。ご主人が電話でよんでくれたタクシーは、コロンビアで初めての女性ドライバー。ターミナルでは12時間3000ペソで預かってもらえる。

時間が空いたので、またセントロに戻る。パン屋に入り、今日のやりとり。カルロスの家が無理とのことで、ノルベイに相談。うちにと言ってくれるも、悪いからと宿を教えてもらう。

13時、徒歩でプラサ・ボリーバル近くのバス発着所に。ハンバロ行きは14時発。
スタンドの店で、ティントとチーズサンドを頼む。お土産にパンデボノ4つと水を買う。

バスに乗る。
すぐに眠くなる。

途中、ノルベイから連絡が。うちに泊まれというような感じ。肝心のところがわからず返事にこまるが、お礼を伝えると、とまっていいことがわかる返事が来た。ピエンダモ、シルビア、久々の街を過ぎていく。気まずさがまさって懐かしさが湧かない。シルビアで停車中に、土産のパンを買う。舗装路がだいぶ先までできていた。それでもついたのは7時。5時間の移動だった。

ノルベイが自宅前で迎えてくれる。変わりなさが嬉しい。
自宅に入る。干し肉とプラタノを揚げてくれた。アグアパネラには大きなチーズが。二つのパン。
近況を話す。コロナはどこにいっても共通の話。かれはワクチン接種したという。学校も10年を超えた。
子供が来てくれた。もう7歳。そりゃあ時間も経つ。我をふりかえる。

今日は、女性のサッカー大会。夫人のソニアがユニフォームで帰ってきた。変わりないが、少し白髪が見えた。

話の中で、カルドノで銃撃がと。ラミナでは、ゲリラが行き来してるという話が、世間話の中で、他の話題の間にはさまれる。コカ、マリファナのことも。

明日は大統領選、ここは皆ペトロだろう。
これでダメなら、彼はもうダメだろうとのこと。そうだろうな。





コロンビア日記

5月27日

前日はボゴタからの夜行でカリに。会う予定をしていたアンドレスさんが入院してしまっていた。朝8時にカリのターミナルについてアンドレスさんからのメッセージを見た。

カリで、スマホの充電をかねてネット屋を探すも、一軒だけしかなかった。そのうち無くなるのだろう。
ネット屋では、gmailも、snsもセキュリティーが強化されていて、結局アクセスできなかった。1時間いて充電をすます。

ポパヤンに向かう。
急遽宿を取る。
11:00カリ発 25000ペソ Palmira
バスの中で、ハンバロの友人とやり取りする。フェルナンドとは久々すぎて、帰ってくる反応が怖かったが、懇切丁寧にやりとりしてくれた。ポパヤンからのバス、助手にまで連絡とってくれるなど、疎遠にしてしまったことからくる気まずさから連絡を取らなくなるという独りよがりの悪循環を恥じる。

15時、ポパヤンに着く。タクシーで宿に。背の小さなおじいさんが受付。
35000ペソ。プラサ・カルダスまで2ブロック。カルロスからは連絡がない。どうなってもいいように、寝袋を買いに行く。40分ほど歩いたショッピングセンターで50000ペソを見つける。レジで会計すると、10000ペソ値引きされていた。ラッキー

帰りに、セントロのショッピングセンターを回ると、驚くほどに廃墟と化していた。5年でここまで。年月の長さを思い知る。隣のスーパーでビールと水を買う。レジのお兄さんが不慣れな上に良くない態度で客にキレられていた。

宿に帰って、12時過ぎに寝た。